第9章:ティーテーブルの新用法
もし、この当時の日常を微に入り細にわたって書いてみたとしたら、宮廷という環境の内部に通じていない人々にとって啓発的なものとなるかもしれない。私が学んだ秘密の一部を暴露してみたとしたら、ヨーロッパの政治家たちにとって興味深いものになるかもしれない。どちらもやるつもりはない。私は無感覚のスキュラと無思慮のシャリブディスの合間に立って、ルリタニア政界の水面下で進行中の見る者とてないドラマの登場人物としての私に徹したほうがはるかに得策だと判断していたのだ。私が王になりすましているのを見破った者はいなかったとだけ言っておけば十分だろう。間違いはしでかした。危機もあった。私が偽者であるという証拠となりかねない、明らかな記憶違いや古い知己に対する気遣いの欠如をごまかし抜くためには、私の特技ともいえるあらゆる機転と心術が必要だった。そして私は逃げ切った。それは、前にも言ったとおり、企図の大胆さによるところが他のなによりも大きかった。見た目が十分そっくりならば、隣の家の住民の役を演じるよりもルリタニア国王のふりをするほうがはるかにたやすかったと、私は信じる。
ある日、ザプトが私の部屋に入ってきた。手紙を私に投げ渡しながら口を開く。
「おまえさんあてじゃ――女の筆跡じゃな、おそらく。が、まず最初に二、三お知らせがある」
「どんな?」
「王はゼンダ城におられる」
「どうしてわかる?」
「ミヒャエルお抱えの六人組の残り半分が向こうにおるからの。調べてみれば、連中はみなあそこにおった――ローエングラム、クラフシュタイン、それからルパート・ヘンツァウの青二才がな。どいつも、わしの名誉にかけて言うが、ルリタニア産の悪党としては一級品じゃよ」
「それで?」
「それで、おまえさんが騎兵歩兵に弓兵と従えてゼンダ城に馬をお進めになるのがフリッツの望みじゃな」
「そして堀をさらう?」
「そんなところじゃな」と言ってザプトはにやりと笑った。「が、そこに王の遺体は見当たらない」
「王がそこにおられるのは間違いないと?」
「可能性はかなり高い。あの三人がむこうにおるということ、加えて跳ね橋があげられている。しかもヘンツァウの青二才かブラック・ミヒャエルの命令がないとだれも中に入れてもらえんときておる。フリッツのほうは抑えておかねばなるまい」
「私はゼンダに行くつもりだよ」
「気違いめ」
「そのうちね」
「なるほど、もしかしたらの。行ったが最後、二度とは帰ってこれんというはめになりそうじゃがな」
「ありえない話じゃないね、大佐さん」と私はぶっきらぼうに言った。
「陛下はご機嫌ななめにあらせられるようだ」とザプトは私を眺めていった。「色恋沙汰のほうはいかがかな?」
「ちくしょうめ、その舌を引っこめろ!」と私は言った。
ザプトは私をしばらく見つめると、パイプに火をつけた。機嫌が悪かったのはまさにザプトの言うとおりで、私は、なおもザプトに食ってかかった。
「どこに行っても、半ダースもの連中がついてくる」
「それは知っとる。わしがやらせとるんじゃからな」とザプトは落ちついて返答した。
「なんのために?」
「それはな」とザプトは煙を吐きながら言った。「おまえさんが姿を消したとしてもブラック・ミヒャエルにとってはそう都合の悪い話じゃなかろうしな。おまえさんがいなくなれば、わしらが阻止した昔の芝居がはじまる――というより、やつがはじめたがるじゃろう」
「自分の身くらいは守れるさ」
「ド・ゴーテ、ベルソニン、デチャードがストレルサウにいる。いいか若いの、どいつもおまえさんの喉首を簡単に切り裂いてしまうような連中だぞ――わしがブラック・ミヒャエルの喉首を切り裂くのと同じくらいあっさりと。それも、もっと汚いやりかたでな。その手紙は?」
私は手紙の封を切って読み上げた。
「もし王さまが、王さまが知ろうと深く気がけている事柄を知りたいとお望みであるのならば、この手紙に書くとおりになさいませ。ニュー・アベニューのはずれに、広大な敷地を有する屋敷がございます。正面門には妖精の像がかざられている屋敷です。庭は石塀に囲まれており、裏側の塀には門があります。今夜12時、王さまがひとりでその門よりお入りあそばしたならば、右に曲がって20ヤード進み、避暑館の前においでましください。6段の階段を昇って避暑館のドアをくぐられましたら、そこに、御命と玉座に近しく影響を与えることについて王さまにお教えする者がお待ちしております。王さまはひとりでおいでいただかなければなりません。もしこの招待を無視するようなことがございましたら、御命は危険に見舞われることでしょう。この手紙はだれにも見せてはなりません。さもなくば、王さまを愛するひとりの女性が破滅することになりましょう。ブラック・ミヒャエルは容赦を知らぬお方です」
「下手な手を」とザプトは私が読み終えるとそう言った。「が、じつに味のある手紙を書かせとる」
私も同じ結論に到達していたから手紙を投げ捨てようとしたが、そのとき、裏にまだなにか書いてあるのに気がついた。
「おや? まだなにか書いてある」
「もしためらいを感じるのであれば」と手紙の送り主はつづけていた。「ザプト大佐にご相談ください――」
「ほう!」と当の紳士は心底驚いて大声をあげた。「この女はわしをきみ以上の阿呆だとみるのか?」
私は手をふって黙らせた。
「公爵の従妹との結婚をだれよりも望まず、その結果、公爵が王位につくことをだれよりも望まない女がだれか、かれにおたずねください。そしてその女の名前の頭文字が――A であるかどうかも」
私ははじかれたように立ちあがった。ザプトがパイプを置いた。
「アントワネット・ド・モーバンだ!」と私はさけんだ。
「どうしてわかる?」とザプトがたずねた。
私は自分がこの女について知っていること、どうやってそれを知ったかを話した。ザプトはうなずいた。
「この女がミヒャエルと仲違いしたというのはたしかに事実じゃ」とザプトは考えこみながら言った。
「本人がその気なら、けっこう使えるんじゃないかな」
「わしとしてはの、こいつはミヒャエルが書いた手紙だと信じるね」
「そう思うけれど、はっきりとしたことを知りたい。私は行くよ、ザプト」
「いや、わしが行く」
「問題の裏門のところまではきてもいい」
「避暑館までいくさ」
「そんなことをされてたまるものか!」
私は立ちあがり、マントルピースに背を預けた。
「ザプト、私はあの女を信じる。だから行く」
「わしは女というものを信じん」とザプトは言った。「だから行くな」
「避暑館に行くか、イギリスに帰るか、2つにひとつだ」
ザプトは、どのようなときに私を導き、動かすことができ、どのようなときに従わなければならないか、知悉しはじめていた。
「我々は時間と勝負しているんだ」と私はおっかぶせるように言った。「王さまをあの場所に置いておく1日ごとに新しい危険が生じる。私が王さまのふりをしている1日ごとに、新しい危険が生じてくるんだ。ザプト、我々は大きく賭けなきゃいけない。力押しでゲームを進めなきゃだめだ」
「それならそれでいいさ」とザプトはため息混じりに言った。
話をはしょる。午後11時半、ザプトと私は馬にまたがった。今回も留守番として後に残したフリッツにも、我々の目的地を明らかにしていなかった。真っ暗な夜だった。私は剣を帯びず、リボルバーと大型ナイフ、それに牛眼ランタンを身につけていた。例の門のところに到着。私は下馬した。ザプトが片手をさしだした。
「わしはここで待つ。銃声が聞こえたときは、わしも――」
「ここで待つんだな。これは王さまにとって唯一のチャンスなんだ。きみまでが災難にあうようなことがあってはいけない」
「そのとおり、若いの。幸運を祈る!」
私は小さな門を押した。そこには、手入れの行き届かない低木の生垣が続いていた。雑草のはびこる小道があり、教えられたとおり右手に折れている。私は用心に用心を重ねてその道を進んでいった。ランタンのシャッターを降ろし、手にはリボルバーを握っていた。物音一つしない。やがて、行く手の薄暗がりに建物の影が見えてきた。避暑館だ。階段を昇ると、掛け金で取りつけられている、いまにも倒れそうなドアがあった。私はそれを押し開け、中に入った。女が私のところに飛んできて、手をとった。
「ドアを閉めてください」とその女はささやいた。
私は言われたとおりにドアを閉め、ランタンの光をその女に向けた。贅沢な装飾を施されたイブニング・ドレスを着た、浅黒い肌の美貌が、鮮やかに照らし出された。この避暑館は小さな部屋ひとつきりで、家具といえば、カフェ・テラスにあるような椅子が一組と鉄製の小さなテーブルがひとつあるに過ぎなかった。
「何も言わないで」と彼女は言った。「時間がありません。お聞きください! 私はあなたのことを存じ上げております、ミスター・ラッセンディル。あの手紙は、公爵の命令で書かされたのです」
「そうだろうと思っていました」と私。
「20分もすれば3人の男があなたを殺しにきます」
「3人――あの3人ですか?」
「そうです。それより早く帰ってもらわなければなりません。さもないと、今夜あなたは命を落とし――」
「それとも連中が命を落とすか」
「いいから、お聞きください! それから、あなたの死体は下街に運ばれることになっています。そこでだれかが死体を見つけるでしょう。それを待ってミヒャエルはただちにあなたの味方の方々を逮捕し――まずはザプト大佐とフォン・ターレンハイム大尉から――それから、ストレルサウに戒厳令を布き、ゼンダに使いをやります。残りの3人がゼンダ城で王さまを殺し、公爵が自分自身か王女さまの即位を宣言します――十分な力があれば、自分が即位するでしょう。いずれにせよ、ミヒャエルは王女さまと結婚し、事実上の王になります。そうなれば名目的な王になるのも時間の問題でしょう。おわかりになりましたか?」
「たいした筋書きですね。ですがマダム、なぜあなたは――?」
「キリスト教徒だからとでも――嫉妬しているからとでも、お好きなようにお考えください。ああ! あの人があの娘と結婚するところなど目の当たりにできるものでしょうか? さあ、お行きなさい――でも覚えておいてください――これは言っておく必要があります――よろしいですか、夜だろうが昼だろうが、あなたにとって安全なときは一時もありません。3人の男を護衛役として従えておられますね。そうではありませんか? その後を、別の3人がつけているのです。ミヒャエルの三人組はあなたのそばを200ヤードと離れたことがありません。独りでいるところを見つけられたが最後、あなたのお命は一瞬ももたないでしょう。さあお行きなさい。いえお待ちください、門にはもう手が回っていることでしょう。静かに階段を下って、避暑館を通ってそのまま100ヤードほど行ったところの壁に、梯子がかけられています。それを使ってお逃げくださいませ」
「あなたは?」
「私にもやるべきことがあります。もし私のやったことが公爵の知るところになれば、もう二度とお会いすることはないでしょう。そうでなければ、またいずれ――でも、気になさることはありません。とにかくお急ぎください」
「しかし、公爵にはなんとおっしゃるつもりのですか?」
「あなたはこなかったと――トリックを見抜かれたと言っておきましょう」
私は彼女の手を取って口づけした。
「マダム、今夜は王さまのためによく尽くしてくださいました。王さまはいまあの城のどこにいるのですか?」
アントワネットの声が沈み、なにかに怯えるようなささやき声になった。私は熱心に耳を傾けた。
「跳ね橋を渡ったところに大きな扉があります。その後ろには――しっ! あの音は?」
外で足音がした。
「あの連中だわ! くるのが早すぎる! 神さま! くるのが早すぎる!」アントワネットは顔面蒼白になっていた。
「私に言わせれば、ちょうど時間どおりにきてくれたようなものですよ」
「ランタンのシャッターを下ろして。ほら、ドアに割れ目があります。連中が見えますか?」
私はその割れ目に目を押しつけた。階段の一番下におぼろな人影が3つ見えた。
「1人くらいなら殺せるかもしれませんが」とアントワネットが言う。「それでどうなるというのです?」
外から声がかけられた――完璧な英語を話す声が。
「ミスター・ラッセンディル」
私は返事をしなかった。
「きみと話がしたい。話が終わるまで銃を使わないと約束してくれるか?」
「そうおっしゃるのはミスター・デチャードかな?」と私は言った。
「名前など気にせずともよろしい」
「では、私の名前のことも放っておいてもらおう」
「よろしい、陛下。きみに提案がある」
私は黙ってドアの裂け目に目を押しあてた。3人の男が階段の上二段にまたがって足を置いている。3丁のリボルバーの3つの銃口がドアに向けられていた。
「我々を中に入れてもらえるか? 名誉にかけて休戦協定の遵守はうけあう」
「信用してはいけません」とアントワネットがささやいた。
「ドア越しでも話はできる」
「そっちがいきなりドアを開けて撃ってくるかもしれん」とデチャードは反論した。「きみを片付けることはできるだろうが、3人無事でとはいかんだろうからな。話の間撃たないと名誉にかけて約束できるか?」
「信用してはいけません」と、ふたたび彼女が言った。
ふと閃いたことがあった。私はそれを一瞬で検討し、実行可能だと思った。
「名誉にかけて誓おう、きみらが撃つまではこちらも撃たないと」と私は言った。「だが、中にはいれない。外に立ったまま話せ」
「それが上分別というものだ」とデチャードは言った。
3人はいまや最後の段に足をおき、ドアのすぐ外に立っていた。私はドアの割れ目に耳をおしつけた。声は聞こえてこなかったが、デチャードの頭が残り2人のうち背が高い方の男(ド・ゴーテだろうと見当をつけていた)の頭に寄せられていた。
「はん! 内緒話ね」と私は思った。それから声に出してこう言った。
「さあ諸君、提案を聞こうか」
「国境までの身の安全、それからイギリスポンドで5,000」
「だめだめ」とアントワネットができるかぎり声を落としてつぶやいた。「あてになりません」
「気前のいいことだね」と私は割れ目から向こうをうかがいながら言った。連中はドアのすぐそばにかたまっていた。
この悪漢どもの胸のうちは読めていたから、アントワネットの警告など必要ないくらいだった。連中は、私が話に乗ってきたとたん、「たたみかける」つもりなのだ。
「1分考えさせてくれ」と私は言った。外でだれかが笑ったような気がした。
私はアントワネットのほうに向き直った。
「壁際によってください、戸口から弾の届かないようなところにね」と私はささやいた。
「なにをなさるおつもり?」とおびえたようすでアントワネットがたずねた。
「すぐ、お目にかけますよ」
私は小さな鉄製のテーブルをもちあげた。私にとってはたいして重いものではないそのテーブルを、足をつかんで抱えた。私の眼前にテーブルの表面が広がり、頭と胴体をかんぜんにかばう盾となった。シャッターを閉じたランタンをベルトに結わえ、リボルバーをすぐ手の届くポケットに押しこんだ。突然、ドアがごくわずかに動くのが見えた――風のせいか、あるいはひょっとしたら外の人間が開くかどうかを確かめているのかもしれない。
私はドアからできるかぎり遠ざかり、説明したとおりの位置にテーブルをかまえた。そして呼びかける。
「諸君、きみらの名誉を信頼し、提案を受け入れよう。そのドアを開けてもらえれば――」
「自分で開けたまえ」とデチャードが言った。
「外側に開くドアなんだ」と私は言った。「少し後ろにさがってくれ、諸君、そうしないと開けたドアがきみらにぶつかってしまう」
私は掛け金をまさぐった。それからつま先だってこっそり元の場所にもどった。
「開かない!」と私は叫んだ。「掛け金が掛かってる」
「ちッ! おれが開けてやる」とデチャードが叫んだ。「ばか言え、ベルソニン、なぜいけない? 相手は一人だぞ?」
私は内心ほくそえんだ。直後、ドアが開き、ランタンの光の下、3人が身を寄せ合うように立っているのを私は見た。かれらのリボルバーの銃口が横一列にならんでいた。私はときの声をあげると、室内から戸口へ全速力で突撃した。銃声が3つ鳴り、私の盾に弾痕をかざった。私はおどりかかった。テーブルが3人をまともにとらえ、もつれからまり罵声をあげながらもがく塊となったかれらと私とあの勇敢なテーブルが、避暑館から地面まで階段を転げ落ちた。アントワネット・ド・モーバンが悲鳴をあげたが、立ちあがった私は声高らかに笑った。
ド・ゴーテとベルソニンは失神したように伸びていた。デチャードもテーブルの下敷きになっていたが、私が立ちあがると、テーブルを押しのけてふたたび発砲した。私はリボルバーを抜き撃ちした。かれが悪態をつくのを尻目に、私は脱兎のごとく走った。笑いながら、避暑館を過ぎた後は壁に沿って走った。背後で足音がしたので、振りかえりざま運任せにもう一度発砲した。足音はやんだ。
「どうか」と私は言った。「あの女が言った梯子のことが本当でありますように!」というのも、壁は高く、てっぺんには鉄釘がうたれていたから。
梯子はあった。私はあっという間にそれを昇り、塀を乗り越えた。門のところに逆戻りする途中、馬がまだ残っているのを目にした。そのとき、銃声がした。ザプトのしわざだ。騒ぎを聞きつけたザプトが、鍵のかかった門を開くべく、とりつかれたように門を揺さぶったり叩いたり、錠前を銃で撃ったりしている。かれは、自分は戦闘に参加しないという事前の取り決めをすっかり忘れてしまっていたのだ。それを見てまた笑い出した私は、ザプトの肩に手をおいて言った。
「帰って寝ようぜ、じいさん。いままで聞いたことがないような極上の茶のみ話がある!」
かれはびくりとした。「無事じゃったか!」と叫ぶと、私の手をきつくにぎりしめた。が、すぐさまこう言った。
「それで、なにが可笑しくて馬鹿笑いしとるんじゃ?」
「4人の紳士がティーテーブルを囲んでね」と、まだ笑いながら言った。猛者が三人揃ってありふれたティーテーブルというお話にならない武器に蹴散らされたのは、きわめて滑稽なことだった。
そのうえ、私が名誉を重んじ、相手が発砲するまで撃たないという私の言葉を違えなかったのは、みなさんもお気づきのとおりなのだ。