1章 ピーターパン
もしお母さんに、幼かった頃にピーターパンを知っていたかどうかたずねたら、こう答えるでしょう。「もちろん、知っていたに決まってるじゃないの、かわいい子」。そしてピーターが、その頃やぎに乗っていたかどうかもたずねたら、「なんてばかげたこと聞くの、もちろん乗っていたにきまってるわよ」と答えるでしょう。次におばあちゃんに同じことをたずねても、「おやまぁ、もちろん知っていたに決まってるよ、かわいい子」と答えるでしょう。けれども、その頃ピーターはやぎに乗っていたかどうかを聞くと、やぎを飼っていたなんてことは聞いたこともないよ、と答えます。たぶんおばあちゃんは忘れてしまったのでしょう。なんせあなたの名前も時々忘れてしまって、お母さんの名前の「ミルドレッド」と、あなたに呼びかけるくらいですから。でもやぎみたいな大切なことを、おばあちゃんが思い出せないなんてことがあるでしょうか? つまりおばあちゃんが幼い頃には、やぎはいなかったのです。だからこういうことです。ピーターパンのお話をするにあたって、みんながそうするように、やぎのことから始めるのはベストを着る前に上着を着こむほどばかげたことなんです。
もちろん、ピーターはとても年をとっているってことにもなりますが、実際のところはずっと年をとらないのです。だから年のことなんて全然問題にもなりません。ピーターの歳は生まれて1週間で、ずっと昔に生まれたのですが、まだ1回も誕生日が来たこともなければ、これから来ることもないでしょう。
その理由というのは、生後7日目に人になることから逃げ出したからです。窓から抜けだして、ケンジントン公園へ飛んで帰ってきたのです。
これまでで、ピーターが逃げ出したいだなんて思った、たった一人の赤ん坊だったんじゃないの? と考えるのは、どれほど自分が幼かった頃のことをすっかり忘れてしまっているかを示しているようなものです。
デビットが初めてこの話を聞いたとき、自分は逃げようとしたことなんかないや、と思いこんでいたものです。私はこめかみを両手で押さえてよく思い出してごらんなさいと言いました。デビットが一心にそうしてみると、木のてっぺんに戻りたいと幼心に思っていたこと、その記憶が次の記憶へつながって、ベッドに横になっていた時に、お母さんが眠ったらすぐにでも逃げ出す計画を立てていたこと、かつて煙突に半分のぼったところでお母さんにどうやって捕まっちゃったかを、はっきりと思い出したのでした。全ての子供はもしこめかみを両手で強く押さえて思い出せば、このような思い出を持っているものです。なぜなら子供たちは人になる前は鳥だったので、生まれたての数週間はちょっと動物っぽいところがあるのです。肩の、かつて翼があったあたりがとてもムズムズするのでした。これが、デビットが私に話してくれたことです。
私がここで言っておかなきゃいけないのは、私たちの方法でお話するってことです。つまり最初に私がデビットにお話をして、それからデビットが私にお話をする、そうすると全く違ったお話になるってことが分かるでしょう。私は自分のお話をデビットの分に足して話すし、話をすすめていけば、デビットのお話なのか私のお話なのか、どちらのお話だなんて誰にもいえなくなるでしょう。このピーターパンのお話に関して言えば、たとえばつまらない部分と、道徳に関しての小言の、全部ではないにしてもほとんどは私のお話です。というのもピーターパンは、きちんと道徳を守ることもあるからです。でも子供が鳥だった頃のやり方や習慣のちょっとしたおもしろいことは、ほとんどデビットが思い出したことです。こめかみを強く両手で押えてじっくり考えて。
さてピーターパンは窓から出て行きましたけど、そこには柵はありませんでした。窓棚の上に立っていると、遠くの木々がみえました。そこは間違いなくケンジントン公園です。公園を見ていたときは、ねまきをきた小さな男の子だってことをすっかり忘れていました。そして公園まで、家のすぐ上を越えて飛んでいったのです。翼もなしに飛ぶことができるなんて不思議です。ただ翼の生える場所は、とてもムズムズするのでした。そしてたぶん、勇敢なピーターパンがその夜に飛べるって固く強く信じたほど私たちも信じれば、みんなが空を飛べることでしょう。
ピーターは、赤ん坊の王宮とサーペンタイン池の間の広々とした芝生に楽しそうに降り立ちました。最初にピーターがしたことは仰向けに横たわって、けるように足を動かすことでした。ピーターは、自分がかつて人だったとは全く知りません。そして自分は外見も、幼い頃からずっと同じで、鳥のままだと思っていました。だからハエを一匹捕まえようとして、失敗してしまう理由が全然わからないのでした。失敗する理由は、手でハエを捕まえようとしていたからなんです。もちろん鳥はそんなことをしません。でもピーターには、門が閉まる頃に違いないということは分かりました。なぜなら周りにたくさんの素敵な妖精たちがいましたが、みんな忙しそうにしていて、ピーターに気づかなかったからでした。妖精たちは、朝食の準備をしたり、牛の乳をしぼったり、水を汲んできたりしていました。何杯ものバケツに水が入っているのをみて、ピーターはのどが乾き、水を飲むために丸い池まで飛んでいきました。ピーターはかがんで、くちばしを池の水につけました。ピーターはくちばしだと思ってましたが、もちろん鼻でした。だからほとんど水は飲めませんでした。そして水はいつものようにそれほどきれいではなかったので、次にピーターは水たまりを試してみましたが、ドボンと落っこちてしまいました。本物の鳥が落っこちたら、羽を広げて、くちばしでついばんでかわかすのでしたが、ピーターはどうしてよいかわからなかったので、すごく不機嫌になって、赤ん坊の道にある枝が垂れ下がっているブナの木にとまって寝ることにしたのでした。
最初のうちは枝の上でどうにもバランスが取れなかったのですが、すぐにバランスの取り方を思い出し、眠りにつきました。夜明け前に目を覚ますと、ぶるっと身を震わして「こんな寒い夜に外で過ごしたことはないなぁ」とひとりごとを言いました。本当は鳥だった頃に、もっと寒い夜を外で過ごしたこともあったのですが、みなさんご存じの通り、鳥にとっては暖かに思える夜でも、ねまきだけの子供にとっては寒い夜なのです。ピーターはまた、頭が重いみたいでなんとなく落ち着かない感じがしました。大きな音を耳にして、あたりをすばやく見まわしましたが、それは実際には自分のくしゃみでした。ピーターには、とっても欲しいものがありました。でも欲しいことは分かっていたのに、何が欲しいのかまではわかりません。とっても欲しかったのは、鼻をかんでくれるお母さんでしたが、ピーターに思い浮かぶはずもなかったので、教えてくれるように妖精にお願いすることにしました。妖精が良い知恵を持っていることは、知られていることです。
赤ん坊の道には、お互いの腰に手を回してぶらぶらしている2人の妖精がいたので、ピーターは話しかけるためにひょいと飛び出ました。妖精というものは鳥とはちょっといざこざがあるものですが、ふつうは礼儀正しい質問をすれば、きちんとした返事をしてくれます。なので、目があった瞬間に2人とも逃げ出したとき、ピーターはかんかんに怒りました。別の妖精ときたら、公園の椅子に腰掛けて人間が落としていった切手を見ていたのですが、ピーターの声を聞いたとたん、驚いてチューリップの向こうにひょいと隠れてしまいました。
ピーターが戸惑ったことに、出会う妖精、出会う妖精がみんな自分の前から逃げてしまうのでした。毒きのこを切り倒していた一団の妖精は道具をおいて逃げ出してしまいましたし、乳搾りをしていた妖精はバケツをひっくり返してその中に隠れてしまう始末です。やがて公園は大騒ぎになりました。妖精たちの群はあちらこちらへ駆けまわり、だれが恐がってるの? と大声で尋ねあいながら、明かりをけし、ドアにバリケードを築くありさまでした。マブ女王の宮殿の広場ではドンドンと太鼓が打ち鳴らされ、それは王宮の警備員が召集されたしるしでした。
騎兵の連隊が、すれ違うときには敵にしっかりつきささるようにセイヨウヒイラギの葉で身を固め、広い道へ突撃してきました。子供の妖精が、あちこちで「門が閉まったのにまだ人がいるんだよ」と大声をだしているのをピーターは耳にしました。でも一瞬たりとて自分が人間だとは考えたこともなかったので、だんだん混乱して、どうしたらいいか全然わかりません。妖精に聞いてみようと後をつけてまわりましたが、むだでした。臆病な生き物の妖精はピーターから逃げ回り、「あっちでピーターを見かけたぞ」なんてうそをついて、騎兵隊でさえピーターが丘に登ると、あわてて歩道へ引き返すしまつでした。
ピーターは妖精に相談することはあきらめて、鳥に相談することにしました。ただあのブナに止まっていた鳥がみんな、ピーターが枝に降り立ったとき飛び去ってしまったことを珍しいことに思い出したのでした。その時はなんのことかわからなかったのでしたが、いまやっとその意味がわかりました。生き物はみな彼を避けているのです。かわいそうにちっちゃなピーターパンは、そうと知らなかったとはいえ、鳥としてはおかしな場所に座りこんで泣いているのに気づきもしませんでした。気づかなかったのは幸いなことです、というのも気づいていたら飛べるという自信をなくしていたでしょうから。飛べるかどうか疑いを持ったときは、もう永遠に飛べなくなってしまっているものなのです。
さて、飛ぶ以外には、サーペンタイン池の島までたどり着く方法はありません。なぜなら人間たちのボートはそこに横づけすることを禁止されていたからです。島の周りには水中にくいが打たれており、そのひとつひとつに見張りの鳥がそれぞれ一匹、一日中座っているのです。ピーターは、その島へ自分のいっぷう変わった問題を老ソロモン・コーに相談するために飛んでいったのでした。ピーターはその島に降り立って、ほっとしました。鳥たちがその島を呼ぶように、ついに我が家に帰ってきたようでとても元気づけられたのです。鳥たちは見張り番までみんな、ソロモンを除いて眠っていました。ソロモンは、島の一方の側で目をさましており、静かにピーターの冒険に耳をかたむけ、冒険の本当の意味をピーターに語るのでした。
「わしの言うことを疑うのなら、自分のねまきを見てごらん」ソロモンは言いました、そしてピーターはまず自分のねまきを、それから寝ている他の鳥たちをじっと見つめました。鳥たちはもちろんなにも着てはいません。
「おまえの足の指の何本が親指かい?」ソロモンはちょっと意地悪にそう言いました、そしてピーターは見て、びっくりぎょうてんしてしまいました、なんせ自分の足の指はすべて手の指と同じだったんですから。あんまりびっくりぎょうてんしたので、寒さをすっかり忘れるほどでした。
「おまえの羽毛を逆立てみなさい」情け容赦なく老ソロモンは続けました、ピーターは必死になって羽毛を逆立てようとしましたが、羽毛がないのでした。それからふるえながら立ちあがって、窓棚の所に立ってから初めて、自分のことを大事にしてくれたお母さんを思い出しました。
「お母さんの所に帰ろうかな?」おずおずとピーターは言いました。
「それではさらばじゃな」なんともいえない表情でソロモン・コーは答えました。
でもピーターはためらっていました。「いかないのか?」老ソロモンは親切にそうたずねました。
「僕は、」ピーターはかすれた声で言いました。「僕はまだ飛べるかな?」
ほら、ピーターときたら自信をなくしてしまったのでした。
「かわいそうな、半分鳥で半分人の子供よ」ソロモンは言いました、本当は冷酷無情というわけではなかったのでした。「もう二度と飛べないよ、風が強い日でもな。おまえはずっとここで暮らしていかなきゃならん」
「ケンジントン公園にもいけないの?」ピーターは、悲しみにうちひしがれてたずねました。
「どうやってここを渡っていくというんだ?」ソロモンは言うと、しかしとてもやさしくこう約束しました。こんなかわった姿のピーターでも学べるような多くの鳥たちの方法を教えてやるよと。
「じゃあ僕はちゃんとした“人”にはなれないんだね」ピーターはたずねました。
「ああ」
「ちゃんとした“鳥”にも」
「ああ」
「何になるの?」
「どっちつかずになるんだろうな」ソロモンはそう答えました。確かにソロモンはかしこい年寄りでした。というのもまさにそのとおりであることが後に分かったのでした。
その島の鳥たちは、決してピーターに慣れませんでした。ピーターの変わった行動が鳥たちを毎日刺激したのです。まるで鳥たちが全く新しくなっているかのように。現に鳥たちは新しくなっているのでした。つまり鳥たちは日々たまごから生まれてきて、すぐにピーターに笑いかけて、それから人間になるためすぐに飛び立つのでした。そして他の鳥たちが他のたまごから生まれてきて、と永遠に続いていくのです。ずる賢い母親の鳥たちときたら、たまごを温めるのが退屈になると、こんなことをたまごのなかの鳥にささやいて、生まれる日より1日はやく殻を破るようにさせるのでした。「ピーターが手を洗ってるところや、飲み物を飲んでるところや、食べてるところを見るには今がチャンスだよ」なんて言うのです。何千という鳥たちが日々ピーターの周りに集まって、まるであなたが孔雀を見守るように、ピーターのしていることを見守るのでした。そして鳥たちがピーターに運んできたパンの耳を、普通そうするように口ではなくて両手で拾い上げようものなら、大喜びで歓声を上げるのでした。ピーターの食べ物は、全部公園からソロモンの命令によって鳥たちが運んできました。ピーターは、ミミズや昆虫は食べなかったので(このことも鳥達はバカにしていましたが)、くちばしにパンをくわえて持ってきたのでした。だから大きなパンの耳をもって飛び去って行く鳥に対して「よくばり、よくばり」なんて叫ぶのは、そんなことをするべきじゃないと今はお分かりでしょう。なぜならたぶんその鳥は、パンの耳をピーターパンのところに持って行っているのでしょうから。
ピーターは、もうねまきを着ていませんでした。ごぞんじのように鳥たちは巣をつくるためにねまきの端切れをいつもせがみましたし、ピーターも人が良くて断ることができなかったので、ソロモンのアドバイスに従って、ねまきの端切れの残りを隠してしまったのでした。ピーターはすっぽんぽんでしたが、寒いだろうなとか不幸なのでは? と考えるのは間違っています。ピーターは、いつもとても幸せで陽気でした。というのもソロモンが約束を守って、ピーターに鳥のやり方をいろいろ教えてくれたからでした。たとえば、すぐに喜ぶこととか、いつもちゃんとなにかをしていること、そして何をしていてもそのことこそがとても重要なことだと考えることを教えてくれました。ピーターは、鳥たちが巣を作るのを手伝うのがとても上手になりました。すぐにハトをはるかに追い越して、クロウタドリとほとんど同じくらい、でもちいさな鳥たちはどうしても満足させられませんでした。そして巣の近くに便利な小さな水桶をいくつか作ったり、小鳥のために指を使ってミミズを掘り起こしたりしてやりました。ピーターは鳥の伝承(文字に残らない歴史)にも詳しくなりましたし、風のにおいで東風と西風の区別がつきました。ピーターは草が伸びるのを見たり、虫が木の幹の中を歩くのを聞いたりできました。でもソロモンのしてくれたことで一番よかったことは、喜ぶ心を持つことをピーターに教えてくれたことでした。全ての鳥は、巣を盗まれでもしない限り、喜ぶ心を持っているものです。とはいっても、ソロモンが知っているのは喜ぶ心だけでしたから、ピーターにどうやって喜ぶ心をもてばいいか教えるのは簡単なことでした。
ピーターの心は喜びに満ちていて、鳥たちが楽しむために歌うように、一日中でも歌ってなければならないように感じたのでした。でもまだ少し人の部分もあったので、楽器がほしいと思ってあしで笛を作りました。そしてよく夕方には、島の波打ちぎわにこしかけていたものでした。ヒュウヒュウとなる風の音や打ち寄せる波の音を練習して、月の光を一握りつかんで、そんなものをすべて笛の音にこめたのでした。その笛の音はとっても美しい調べだったので、鳥たちでさえすっかりだまされて、お互いにこうささやきあいました。「魚が水で飛び跳ねたのかしら、それともピーターが笛で真似してるのかしら?」ときどき鳥の生まれた音を笛で真似したりするので、母親たちときたらたまごが生まれちゃったかしらときびすを返して巣にもどるくらいでした。もしあなたがケンジントン公園で育った子供なら、あの橋のそばのクリの木をご存知でしょう。そしてそのクリの木が公園のどんなクリの木よりも早く花をつけることも知っているでしょう。でもその理由までは、聞いたことがないと思います。ピーターが夏をまちわびて、夏がきたよなんて笛をふくので、一番近くにあるそのクリの木が笛を聞いてだまされてしまうのでした。
でもピーターが波打ち際に座って素晴らしい笛の音を奏でると、ふと物寂しくなりました。すると笛の音も寂しそうに響くのです。寂しくなるわけは、橋のアーチの間から向こうにケンジントン公園が見えるにもかかわらず、そこへは決してたどり着けないからでした。ピーターはもう自分が本当の人になれないのは分かっていましたし、なりたいとも思っていませんでしたが、でもどんなに他の子供たちのように遊びたいと思っていたことでしょう。そして実際にケンジントン公園ほど遊んで楽しい場所も他にはなかったことでしょう。鳥たちが、男の子や女の子たちがどんな風に遊んでいたかピーターに知らせてくれると、悲しさのあまりピーターの目には涙が浮かぶのでした。
たぶん、泳いでわたればいいのになんてお思いになるかもしれません。ピーターは泳げませんでした。ピーターは泳ぎ方を習いたいと思いましたが、その島ではアヒルのほかには泳ぎ方を知っているものはいませんでした。アヒルはすこし頭がたりなくて、泳ぎ方をピーターにすごく熱心に教えようとしましたが、言うことときたら「こういう風に水の上にすわって、こんな風に水をけるのよ」なんてことだけでした。ピーターは何度も試してみましたが、けるまえに沈んでしまうのでした。ピーターが本当に学ばなければならなかったのは、沈まずに水の上ですわっていられる方法でしたが、アヒルたちが言うにはそんな簡単なことは説明できないよ、といった具合でした。ときどき白鳥たちが島に近づいてきたときに、ピーターはその日の食べ物を全て差しだして、どうして水の上ですわっていられるのかたずねたのですが、あげられる食べ物がなくなるとすぐに、そのいやなやつらはピーターを追い払って、泳いで行ってしまうのでした。
ピーターは、前にケンジントン公園へ行く方法を見つけたなんて思ったことがありました。風に舞う新聞紙のような不思議な白いものが島の空高くに浮かんでおり、それから羽が折れた鳥のように何度も回転して落下したのでした。ピーターは、とっても驚いたので身を隠しました。ただ鳥たちがピーターに、それはたこというもので、どういうものか、そしてたこは男の子の手から糸が強く引っ張られて舞いあがったにちがいないことを教えてくれました。そういい終わった後も、ピーターがたこをとても気に入ったのを鳥たちは笑いました。ピーターはたこが大好きで、寝る時もたこの上に片手をおくほどでした。私が思うには、これは痛ましくもかわいらしい話なのです。なぜならピーターは、たこが本当の男の子のものだからこそ大好きだったのですから。
鳥たちにとっては、こんなことはばかばかしい理由でした。ただ年とった鳥たちは、この時ピーターが風疹にかかった若鳥を手厚く看病したので感謝の念を抱いていたのでした。そして鳥たちは、ピーターにたこを飛ばす方法を見せてあげるよと申し出ました。6羽の鳥が糸の端をくちばしでもって飛び立ちました。ピーターはびっくりぎょうてんしたのですが、たこは鳥たちのあとを飛び立ち、鳥たちよりももっと高く舞いあがったのでした。
ピーターはさけびました。「もう一度やって!」鳥たちはとっても親切だったので、何回もやってあげました。そして毎回ピーターは感謝するかわりにこうさけぶのでした。「もう一度やって!」このことは、今でもピーターが子供であるということがどういうことなのか、完全には忘れてしまっていないことを示しています。
とうとうピーターの勇敢な心にすばらしい計画がうかび、鳥たちにピーターをたこのしっぽにくっつけてもう一回飛ばしてくれるように頼みました。そして百羽もの鳥が糸を持って飛び立ちました。ピーターはしっぽにくっついていました。ケンジントン公園の上にきたら降りるつもりでした。でもたこが空中でばらばらになってしまいました。2羽の白鳥がぷんぷん怒りながらもピーターを捕まえて、島まで連れていってくれなかったなら、ピーターはサーペンタイン池でおぼれてしまったことでしょう。これ以降、鳥たちはピーターの頭のおかしい企みには力を貸すつもりはないよと言い放ちました。でもピーターは、シェリーのボートの助けをかりてケンジントン公園にたどり着くのでした。これからそのてんまつをお話することにしましょう。
2章 つぐみの巣
シェリーは年若き紳士で、もうすっかり大人といってもいいくらいの年でした。ただ詩人なので、決して本当の大人にはなれませんでした。詩人というものは今日一日、まさに一日必要なだけのお金以外はすっかりバカにしているものです。シェリーときたら、一日に必要な分に5ポンドも余していたので、ケンジントン公園を散歩しているとき、持っている紙幣で紙のボートを作って、サーペンタイン池に浮かべたのでした。
そのボートは、夜に島までやって来ました。見張りが、それをソロモン・コーに知らせます。ソロモンは、最初いつものやつだなと思いました。いつものやつというのは、女の人からのよい子供を授けてくれたらとてもうれしいんですが、という手紙のことです。女の人ときたら、いつでもソロモンのところの一番いい子供を望むのです。もしソロモンがその手紙を気に入ると、Aクラスの子供を送り届けるといった具合でした。でもいらいらさせるような手紙だと、ふうがわりな子供を送り届けるのです。時々は一人も送らないこともあれば、別の時には巣一杯の子供を送り届けます。全てあなたの手紙が、ソロモンをどんな気分にするかにかかっているのです。ソロモンは、全部を自分に任せてもらうのが好きなので、もし今度は男の子を送り届けてほしいなんて細かく書いたりすると、代わりに女の子を送り届けること確実です。そしてあなたが女の人でも、あるいは妹が欲しい男の子でも、いつもちゃんと住所を書くようにしてください。ソロモンが、どれほど多くの赤ん坊を間違った家に届けるか想像もつかないくらいです。
折りたたまれているシェリーのボートを開いてみても、ソロモンには全く何なのかわからなかったので助手たちに相談しました。助手たちは、一回目はつま先を開いて、2回目はつま先を閉じて、その上を歩きました。そしてこれは5人も子供が欲しいという欲張りなやからがよこしたんだ、と結論づけたのです。どうしてそう思ったかといえば、その紙幣には大きく5と印刷されていましたから。「ばかもの!」ソロモンはカンカンに怒って、ピーターに紙幣をくれてやりました。島に流れ着いた役にたたないものは、いつもピーターのおもちゃとして与えられるのでした。
でもピーターは、この大事な紙幣を遊び道具にはしませんでした。というのも、普通の子供だった一週間の間に注意深くみていたので、これが何かはちゃんと分かっていたのです。こんなにお金を持っていて、その上ピーターはよく考えたので、とうとう公園までたどりつくことができたのです。ピーターはいろいろな方法を考えて、もっともいい方法を選びました(とても賢いですね)。でも最初に鳥たちにシェリーのボートの価値を言わなければなりません。鳥たちは正直者で紙幣を返しておくれとは言いませんでしたが、ピーターは鳥たちが悔しがっているのが分かりました。そして自分の賢さを自慢していたソロモンを軽蔑したような目でみたので、ソロモンは島の隅の方に飛んでいって、羽に頭をうずめてしょんぼり座りこんでしまいました。でもピーターはソロモンが味方になってくれなければ、この島ではなにもできないことを知っていたので、ソロモンのあとを追って励まそうとしたのでした。
ピーターが、力をもっている老ソロモンの好意を射止めようとして、やったことはこれだけではありません。あなたも知っているように、ソロモンはそもそも一生仕事にあけくれるなんて夢にも思っていません。だんだんリタイアして、老年期はソロモンが大好きなイチジクの森にある、あのセイヨウイチイの切り株あたりで楽しい余生をおくりたいと夢見ていました。それで何年もの間、もくもくと靴下に蓄えをしていたのでした。その靴下は水浴びをしていた人の持ち物で、その人が島の方へと投げ込んだものでした。初めから靴下の中には180ものパンくず、34の木の実、16のパンの耳、万年筆のインクふき、そして靴ひも一本が入ったことは言っておきましょう。靴下が一杯になった時、ソロモンは収入の心配はしなくてもリタイアできるという計画を立てたのです。ピーターは、5ポンド紙幣を先の鋭いもので切り分けて、1ポンドをソロモンにあげました。
これでピーターとソロモンは生涯の友になりました。2人は一緒に相談して、つぐみの集会を呼びかけました。どうしてつぐみだけに呼びかけたのかは、いずれおわかりになるでしょう。
つぐみたちの前に持ち出された計画というのは、本当はピーターが考えたものでしたが、ソロモンは他人が話しているとすぐにいらいらし始めるので、ほとんどの部分をソロモン自身で説明しました。ソロモンはこういう話からはじめました。つぐみたちの巣作りの見事なことにわしはずっと感心してきたんだと、これはつぐみたちをたちまち上機嫌にさせました。もちろんそうするつもりで言ったことです。なぜ上機嫌になるかといえば、鳥たちの言いあらそいの原因は、いつも誰が一番巣を作るのが上手いかということなのです。ソロモンはこうも言いました。他の鳥たちときたら、泥で巣を固めないもんだから水をためとけないんだな、と。そしてソロモンは、反論は許さんとばかりにふんぞり返りました。ただ、不運なことに、ちいさな鳥のご婦人が1匹紛れ込んでいてこう叫んだのです。「わたしらは、水をためるためじゃなくて、卵を入れとくために巣を作りますけどね」つぐみたちはおしゃべりを止め、ソロモンは慌てふためいて何杯も水を飲む始末です。
「考えてもみなさい」やっとソロモンは口を開くと「泥がどれほど巣を暖かくしてくれてることか」と言いました。
「考えてもみてください、」ちいさな鳥のご婦人は答えました。「巣の中に水が入ってたまったら、子供はおぼれてしまいます」
つぐみたちは、ソロモンがこれを論破してくれるのを期待するような顔つきです。でもソロモンは、またまた慌てふためいてしまいました。
「もう一杯水をのんで」ケイトと言う名前のちいさな鳥のご婦人は小生意気そうに言いました。ケイトなんて名前の人は生意気って相場がきまってます。
ソロモンはもう一杯水を飲もうとして、ひらめきました。「もしちいさな鳥のご婦人の巣をサーペンタイン池に置いたら、水浸しでばらばらになるよ。でもつぐみの巣ときたら、白鳥の背中にのったカップみたいにぬれることはない」
どれほどつぐみたちが喜んだことでしょう! ようやくどうして自分たちが巣を泥でかためるかの理由が分かったのですから。そしてちいさな鳥のご婦人が「サーペンタイン池に巣を置くことなんてないわ」なんて叫んだときには、最初からそうすべきだったことをつぐみたちはしてのけました。つまりちいさな鳥のご婦人を集会から追い払ったのです。追い出した後は、整然と話は進みました。「君達にわざわざ集まって聞いてもらいたかったことは、こういうことなんだ」ソロモンが続けます。「きみたちの若き友人でもあるピーターパン君が、きみらもよくご存知だろうが、ケンジントン公園まで是が非でも池を渡っていきたいということなんだよ」だからつぐみたちに手伝ってもらって、ボートが作れないだろうかと申し出たのでした。これを聞くとつぐみたちがそわそわしはじめましたので、ピーターは自分の計画が心配になりました。
ソロモンはあわてて自分の言ったことを説明しました。人間たちが使うようなかさばるボートじゃなくて、ピーターを乗せるのに十分なくらいの簡単なつぐみの巣を作りたいんだと。
でもまだピーターにとっては心配なことに、つぐみたちは不機嫌でした。「わたしたちは忙しいですからね、」とぶつくさ言いました。「大変な仕事です」
「そうだろうとも」ソロモンは言いました。「もちろんピーターは、ただで働いてもらおうなんて思ってないよ。ピーターが、今とても裕福だという事を忘れてもらいたくないね。ピーターパンは私にこう発言することを許してくれたよ。君たちみんな1日6ペンスもらえるとね」
そしてつぐみたちは全員、喜びのあまり飛び跳ねました。まさにその日から名高いボート作りが始まったのです。いつもの仕事は全部後回しです。この時期は1年の内でちょうどつぐみがつがいになっているときでしたが、この大きな巣以外はひとつもつぐみの巣は作られませんでした。そしてソロモンのところでは、すぐに人間界からうけた注文をこなすつぐみが足りなくなりました。頑丈でどちらかといえばがつがつ食べるような、乳母車の中では元気一杯で歩かせても息を切らさないような子供は、みんなかつて若いつぐみだったのです。女の人たちは、格別つぐみを欲しがるものです。ソロモンはどうしたと思います? 屋根の上にたくさんいるすずめたちに使いをやって、古いつぐみの巣でたまごを生むように命令しました。そして女の人たちにすずめの子供を送りつけ、みんなつぐみだよと断言したのでした。のちになってこの島では、その年はすずめの年として知られるようになりました。あなたも、まるで自分が実際より年をとっていると考えていて、すぐ息を切らす大人に会ったことが、たしかに時々会うことでしょう。彼らはたぶん、その年に生まれたにちがいありません。聞いてみてください。
ピーターはきちんとした親方でした。毎日夕方に給料を払いました。つぐみたちは木の枝に一列になって礼儀正しく、ピーターが紙幣を6ペンスに切り分ける間、待っていました。そしてしばらくするとピーターが名簿を読み上げて、それぞれの鳥が自分の名前が呼ばれると降りてきて、6ペンスを持って飛んで行きました。それはそれは、すてきな光景だったに違いありません。
何ヶ月も働いた末に、ついにボートができあがりました。ええ、だんだん素晴らしいつぐみの巣みたいに大きくなっていくのを見ているピーターの態度といったら。ほんの少しばかりできたときから、ボートの横でねて、すぐ起きてはやさしい言葉をかけていました。そして泥でかためられて、泥がすっかり乾いてからは、いつもボートの中で寝ていました。ピーターは、今でもボートの中で寝ます。背中をまげたかわいい姿で寝るのです。というのもボートは、ピーターが子猫のように丸まって入って、ちょうど快適という大きさですから。ボートはもちろん中は茶色で、外は草と枝で編み上げられていて、ほとんど緑色でした。草と枝が枯れたり折れたりすると、新しくふきかえるのでした。あちらこちらに鳥の羽も編みこまれていますが、巣を作る時につぐみたちから抜けたものでしょう。
他の鳥たちはとってもやっかんでこう言いました。そのボートは水の中ではバランス悪いわね、なんて。ところが水に浮かべると見事に安定して浮かびました。他の鳥たちは水が入ってくるよなんて言いましたが、一滴も入ってきません。それからピーターはオールをもってないと言いましたが、これにはつぐみたちもお互いにうろたえて、顔を見合わせるだけでした。ただピーターは、僕にはオールはいらないよ、帆があるものと答えました。ピーターは得意満面で、ねまきから作った帆を出してきました。そして帆は見方によってはねまきそのままでしたが、とにかく素敵な帆でした。そしてあの夜、満月で、全ての鳥が寝静まったころ、かご船(フランシス・プリティー坊ちゃんならそう呼んだことでしょう)に乗り込んで、島を離れたのでした。そして最初になぜかは分かりませんが、上を見上げて両手を組みました。そのとき、ピーターの目は西の方を見つめていました。
ピーターは、つぐみたちに航海を始める時には案内をしてくれるように頼んでいました。けれども遠くのケンジントン公園が橋の下においでと誘っているような気がしたので、待っていられなかったのです。ピーターの顔は紅潮していましたが、振り返りませんでした。ピーターが小さく吐く息は喜びで一杯で、恐怖を吹き飛ばしてしまいました。なんといってもピーターは、未知なるものを目指して西に向かったイギリスの勇敢な船乗りの末裔ですから。
最初、ピーターのボートはくるくる回って、スタートした場所に流されて戻ってしまいました。そこでそでの片方を取り去って、帆をたたみました。するとすぐに具合の悪い風がふき、後向きに運ばれてしまいました。ピーターにとってはかなり危険なことです。そこで帆をあげると、岸から遠くのほうへ運ばれて行きました。そちらの方には暗闇が広がっており、ピーターは暗闇が危険なものではないことを知っていましたが、かなり危ないとは思ったので、もう一回ねまきの帆を高くあげました。そして暗闇から遠ざかり、よい風をうけ、ピーターは西の方へと運ばれていきました。ただスピードがのりすぎて、橋に激しくぶつかるところでした。衝突をさけて橋の下をくぐると、ピーターにはうれしかったことに、公園の美しい光景が一望できる場所へやってきました。錨、それはたこの糸のはしに石を結んだものでした、を下ろそうとしましたが、池の底までとどきません。そして岸から離れたところで、停泊する場所を探したのですが、手探りで進んで、海底の暗礁にぶつかり、その大きなショックで船の外に投げ出されてしまいました。ピーターは溺れかけましたが、ようやくよじ登って船に戻りました。そこに今度は強い嵐がおこって、波がとどろく音がしました。ピーターは、そんな音を聞いたことがありませんでしたし、あちらこちらへと揺られ、両手は寒さで凍えて、握りしめることもできませんでした。その危険からようやく逃れると、ピーターは幸運にも小さな港に運ばれて行きました。小さな港でピーターのボートは落ち着いて停泊することができました。
けれどもピーターは、まだまだ安心というわけにはいきません。なぜならピーターが上陸しようとすると、岸のところに小さな姿が列になって、ピーターが上陸するのを妨げようとしましたから。そしてピーターに向かって甲高い声で、もう閉門の時間はとっくに過ぎたからあっちに行け、と叫ぶのです。ひいらぎの葉を振りまわすものもいれば、その上に男の子が公園に忘れて行った矢を持ってくる一団もいました。その矢を、城を打ち壊す棒のように使おうとしているのです。
ピーターには、彼らが妖精であることがわかったので、自分がただの人間ではないこと、そして妖精を怒らせるようなことはするつもりがなく、妖精と友達になりたいということを大声で伝えました。でもピーターはよい港を探していて、ここから引き返すつもりはなかったので、もし妖精がピーターに危害を及ぼそうとしているなら、ピーターもだまってないぞと妖精に警告したのでした。
そういうと、ピーターは大胆にも岸へ飛び移りました。すると妖精たちは、ピーターをこらしめようと集まってきましたが、そのとき一団から、女の人たちがひときわ大きい声をあげました。それは、ピーターの船の帆が赤ん坊のねまきであることに気づいたからでした。そうして女の人たちは、すぐさまピーターのことが好きになりました。そしてピーターをひざ枕するには、自分たちのひざがあまりに小さいのを残念がりました。それが私には上手く言えませんが、女の人たちのやり方ということでしょう。男の妖精たちは、女の人たちの様子をみて、刀をさやにおさめました。男の妖精たちは、女の人たちの聡明さを大事にしていたのです。そこで妖精たちは、ピーターを礼儀正しく妖精の女王のところに連れて行きました。女王も丁寧に、ピーターに門が閉まった後も公園で過ごすことを認めてくれました。そしてピーターは行きたいところにはどこでも行くことができましたし、妖精たちはピーターに親切にするようにと女王に命令されたのです。
それが、ピーターの公園への最初の航海でした。そしてあなたは言葉が古めかしいので、ずっと昔のことだと思ったかもしれません。ただピーターは決して年をとらないので、もし今夜ピーターを橋の下で見かけたとすると(もちろん、見かけないでしょうけど)私はあえてこういいたいのです。ピーターがねまきの帆をかかげ、つぐみの巣にのって、私たちの方へ帆をあげたり、オールで漕いだりしてやってくるのをみることでしょうと。ピーターは帆で船を走らせている時は、腰をおろしていましたが、オールで漕ぐときには立ちあがるのです。わたしは、ピーターがどんな風にしてオールを手に入れたか、追ってお話しすることにしましょう。
門が開くずっと前に、ピーターはこっそり島へと戻ってきました。人に姿を見られないためです。(ピーターはまったく普通の人間というわけではありませんから)ただこうすることでピーターは、何時間も遊ぶことができました。ピーターは、本当の子供たちのように遊びました。少なくともピーターはそう考えていました。そしてピーターがしばしば全然見当違いな方法で遊んでいる姿は、涙なしでは見られないものでした。
そうです。ピーターに本当は子供がどうやって遊ぶものか、教えてくれる人はいませんでした。妖精たちは、みんなだいたい暗くなるまで隠れていましたからなにも知りません。妖精の若者たちはピーターにいろいろ教えてやるふりをしましたが、いざ話すときになると、実際にはほとんど何も知らないのは不思議なことです。かくれんぼについては、妖精たちは本当のことを教えてくれました。ピーターは、ひとりでかくれんぼをしたものでした。でも丸い池のあひるたちでさえ、なぜ池がふつうの男の子たちにとっておもしろい場所であるかをピーターに説明することができません。夜になると、あひるは昼間のことをすっかり忘れてしまいます。覚えているのは、池に投げてもらったケーキのかけらの数だけなんです。あひるなんて憂鬱などうぶつで、このごろのケーキはわしらの若い頃とは比べ物にならん、なんて言っているものです。
だからピーターは、なにもかも自分で学ばなければなりませんでした。ピーターはしばしば丸い池で船遊びをしました。でもピーターの船は、芝生でみつけたただの輪っかでした。もちろん、輪っかなんてみたこともありませんでしたから、どうやって遊ぶんだろうと不思議に思って、船にして遊ぶと決めつけたのです。輪っかはすぐに沈んでしまいますが、ピーターは拾い上げるために水の中に入っていって、時々うれしそうに輪っかを引きずって池の周りをまわるのでした。ピーターはとてもプライドが高かったので、どうやって男の子たちが輪っかで遊ぶのかすっかりわかったと思いこんでいました。
別の時には、ピーターは子供のバケツを見つけると、椅子だと思いました。そしてバケツの中に勢いよく座りこんだものですから、抜けられなくなるくらいでした。また風船を見つけたこともありました。風船は、まるで一人でゲームでもしているみたいに丸い丘でゆらゆら漂っていました。そしてピーターは、喜び勇んで風船を追いかけ捕まえました。でもピーターは、それをボールだと思っていました。ミソサザイのジェニーが、ピーターに男の子たちはボールを蹴ってたよといいましたから、ピーターもボールだと思って風船を蹴り飛ばし、風船はどこかに行ってしまいました。
たぶんピーターが見つけて、最も驚いたのは、うばぐるまでしょう。うばぐるまはシナノキの下にあって、そこは妖精の女王の冬の宮殿の入り口の近くでした。宮殿はスペインのクリの7本の木が丸く植えられた場所の中にありました。そしてピーターは、鳥たちがうばぐるまが何かは教えてくれないので、用心してうばぐるまに近づきました。それは生きているかもしれないので、ピーターは丁寧に話しかけました。そして返事がないので、もっと近づくと用心深くふれて、ちょっと押してみました。するとピーターから離れていきます。ピーターは、なんだやっぱり生きてるんじゃないかと思いました。でも離れていったので、恐くはありません。ピーターは手を伸ばして、自分の方へうばぐるまを引き寄せてみました。今度はピーターの方へ向かってきます。ピーターはびっくりぎょうてんして柵を越え、自分のボートに駆けこみました。なんて臆病だなんて思うでしょうが、ピーターは次の夜には片手にパンの耳、片手に棒をもってもどってきました。ただうばぐるまはすっかり姿を消していて、ピーターは二度とうばぐるまを見ることはありませんでした。私は、ピーターのオールのお話をする約束をしました。それはピーターが聖ガーバーの井戸の近くでみつけた子供用のくわでした。ピーターは、くわをオールだと思ったのです。
こんな間違いばかりで、ピーターパンがかわいそうなんて思われるかもしれません。もしそうなら、あなたたちの方が浅はかというものです。浅はかというのは、もちろんピーターのことを時々はかわいそうと思う必要はありますが、いつもいつもかわいそうなんて思うのは見当違いだからです。ピーターは、公園でとっても楽しんでいると自分自身では思っていました。そしてそう思っているということは、実際にそうするのと同じくらいすばらしいことなんです。みなさんが狂ったような男の子や憂鬱な女の子になって時間を無駄にしている間、ピーターは遊びつづけていました。ピーターは狂ったようになったり憂鬱になったりすることはありません。ピーターはそんなことは聞いたこともありませんでしたから。さあ、これでもピーターのことをかわいそうだなんてお思いになるでしょうか?
そうです、ピーターは朗らかでした。ピーターはあなたたち、たとえば、あなたたちのお父さんに負けず劣らず朗らかだったんです。時々は、コマみたいに笑いころげてしまうことさえありました。公園の柵を飛び越えるグレイハウンドを見たことがあるでしょうか? ピーターもそんな風に柵をこえるのです。
ピーターの笛の調べを想像してみましょう。家路をいそぐ紳士たちは、公園でナイチンゲールが一匹さえずっているのを耳にしたと新聞に書きました。実際に彼らが聞いたのは、ピーターの笛の調べです。もちろんピーターにはお母さんはいません。でも少なくともピーターにとっては、お母さんが何の役にたったでしょうか? そのことでピーターをかわいそうに思うかもしれません。でも思いすぎるのはいけないことです。次にお話しすることは、どのようにしてピーターがお母さんのもとへと戻って行ったのかということです。妖精たちがチャンスをくれました。
3章 小さな家
だれもがケンジントン公園の小さな家のことを聞いたことがあるでしょう。小さな家は世界でたった一つの、妖精が人間のために作った家です。でもほんの3、4人しかそれを見た人はいません。でもその3、4人は見ただけでなく、その中で寝泊りさえしました。でも寝泊りしないかぎり、見ることもできません。なぜなら小さな家は寝ているときは見えなくて、起き出して外にでると見えるものだからです。
あなたがたは、まちまちの方法で小さな家を見るでしょうが、見えたものは本当の小さな家ではなくて、窓の明かりだけということもあります。門が閉まった後は、その家の窓の明かりが見えるのです。たとえば、デビットはパントマイムを見た帰り道で、木々の間から遠くに見える明かりをはっきり目にしました。そしてオリバー・ベイリーは、テンプルと言う名前の父親の事務所に遅くまでいた晩にその明かりを見ています。アンジェラ・クレアは、店でお茶をご馳走になると、ついでに歯の一本もよろこんで抜いてもらうといった女性でしたが、一つより多くの明かりを、何百もの明かりを一度に目にしました。それは、妖精たちが家を建てていたところだったのでしょう。妖精たちは毎晩家を建てるのですが、いつも公園の違う場所に建てるのです。アンジェラには明かりの一つが、はっきりというわけではありませんが、他のものより明るい感じがしました。まあ明かりは飛びはねたりもしていましたし、大きかったのは何か別のものだったのかもしれません。いいえ、もしその明かりが別のものでなければ、ピーターパンの明かりでしょう。多くの子供たちがピーターが飛ぶところを見ていますから、それほど珍しいことでもありません。でもマイミー・マナリングは、初めて家を建ててもらったことで有名でした。
マイミーは、常日頃から変わったところのある女の子でした。4才で、昼間はいたって普通ですが、夜になると変わるのです。6才で素敵なお兄ちゃんのトニーがかまってくれると、マイミーはうれしがりましたし、お兄ちゃんをとても慕っていました。お兄ちゃんの真似をしようとしますができなくて、お兄ちゃんにぐいっと押されてもいやがるどころかうれしがる始末でした。ボールを打つ時なんかも、ボールがまだ宙にあるというのに、新しい靴をはいてるのといって一休みしてしまいます。昼間は、本当に普通の女の子なんです。
でも夜のとばりがおりると、いばっていたトニーがマイミーを馬鹿にするどころか恐いものでも見るような目でみつめます。不思議でも何でもありません。暗くなるとマイミーの顔にはずるがしこいとしかいいようのない表情が浮かぶのでした。その顔は、トニーの不安そうな表情と正反対の落ち着き払った表情でした。そしてトニーは自分の一番好きなおもちゃをマイミーに差し出して、マイミーときたら人を不安にさせる笑みを浮かべてそれを受け取りました。ただ翌朝になると、トニーがおもちゃを取り返すのです。トニーがどうしておもちゃを差し出すのか、マイミーがどうしてこんなにミステリアスなのか、簡単に言えば、まさにベッドに行くところだからです。ベッドでのマイミーといったら、それは恐いものです。トニーは今晩はそうしないでねと頼み込み、お母さんや黒人の乳母も脅すように言ってきかせるのでしたが、マイミーは人を不安にさせるような笑みを浮かべるだけでした。そして2人きりになり、だんだんナイトライトがついているだけの頃になると、マイミーがベッドの中で「あら、あれはなに?」と叫び出すのでした。「なんでもないよ、マイミー、だめだよ!」トニーはマイミーにお願いするように声をかけ、頭からシーツをかぶりました。「近づいてくるわ!」マイミーは叫びます。「見て! 隅でお兄ちゃんのベッドを探ってるわ、つつこうとしてる、お兄ちゃん!」トニーが下着のまま叫びながら一階へ駆けだして行くまで、マイミーは話しつづけました。マイミーに罰をあたえるため、みんなで上がってくると、いつもマイミーが静かなねいきをたてて寝ている姿をみるのでした。ねているふりをしているわけではありません。そうです、本当に寝ています。愛らしい小さな天使のような寝顔で、それだけにいっそう薄気味わるく思えるのでした。
ただもちろん公園に行くのは昼間でしたから、その時はトニーのおしゃべりばかりです。おしゃべりの内容からも、トニーがとても勇敢な男の子だということはうかがえます。そしてマイミーほどそれを誇りに思っている子もいなかったでしょう。マイミーは、自分がトニーの妹だと誇りをもってふれまわりたいくらいでした。トニーがマイミーにこう断言してくれるときほど、トニーを尊敬したことはありません。トニーはいつか閉門時間の後まで公園にいるんだと言ったのでした。
「でも、お兄ちゃん」マイミーは、尊敬の念を隠すこともなく口にだしたものです。「妖精たちは、それは怒るでしょうねぇ!」
「かまわないさ」トニーは大したことじゃないよといった風に答えました。
「たぶん」マイミーはどきどきしながらつづけました。「ピーターパンが、お兄ちゃんをボートに乗せてくれるかもね」
「僕がピーターにそうさせるんだ」トニーは答えました。このときほどマイミーがトニーを誇りに思ったことはありません。
でも2人は、そんなに大きな声で話をするべきではありませんでした。ある日ひとりの妖精が、2人が話していることを耳にしました。妖精は、サマーカーテンを作るために筋だらけの葉っぱを集めていました。そしてそれ以降、トニーは要注意人物となったのです。トニーが柵にもたれかかろうとすると、妖精たちが前もってがたがたにしておいたので、頭からうしろに落ちてしまいます。その他にも、靴ひもをつかんでつまづかせたり、あひるにトニーのボートを沈めさせたりしました。あなたが公園ででくわすほとんど全てのいやな出来事は、妖精たちがあなたに悪意をもっているがために起きることです。だから妖精のことを口にするときは、よっぽど注意しなければいけません。
マイミーはその日のことはその日にすませるのがすきなたちでしたが、トニーはそうではありません。マイミーがトニーに「いつ公園に残るの?」と聞いたときも、トニーはただ「その日がきたらね」と答えるだけでした。いつやるのという質問に対するトニーの答えはいつでもあいまいでしたが、「今日やるの」とマイミーが尋ねた時は、はっきりと「今日じゃないね」と答えるのでした。だからマイミーはお兄ちゃんは本当にいいチャンスを待っているんだわと思っていたのでした。
こうして、公園がまっしろな雪で覆われたある午後のお話をしましょう。丸い池には氷がはりました。スケートができるほどは厚くはありませんが、いずれにせよ子供たちが石を投げ込んで次の日にも滑れなくしてしまうのでした。多くの元気で小さな男の子や女の子が、石を投げ込みました。
公園につくとトニーと妹はすぐに池に向かおうとしましたが、乳母が最初はきちんと歩かなくてはというのです。乳母はそう言ったあと、その夜は何時に公園が閉まるか時間の表示をみると、5時半でした。かわいそうな乳母! 彼女は世界中にこんなにたくさんの白人の子供がいるなんて笑い転げるくらいでしたが、その日ばかりは笑ってもいられないことになるのです。
そして、みんなは赤ん坊の道を行って、戻って来ました。時間の表示のところまで戻ってくると、乳母は公園が閉まる時間が5時になっていてびっくりしました。でも妖精たちのいたずらには詳しくなかったので、妖精たちが舞踏会があるからといって時間を書き換えたことには気づきません。マイミーとトニーはすぐにそう気づきました。乳母は、もう丘の上まで上がってる時間しかありませんよ、と言いました。ただ2人が乳母といっしょに急いでいるとき、2人が小さな胸でどれほどスリルを感じているか乳母には全然思いもよりませんでした。あなたがたも思うとおり、妖精の舞踏会をみるチャンスがやってきたのです。トニーもそう思いましたが、これほどいいチャンスはないでしょう。
トニーはそう思うべきだったのです。というのも、マイミーも明らかにトニーの代わりにそう思っていたぐらいですから。マイミーの目はこう訴えかけているようでした。「今日でしょ?」トニーは息をのみ、うなずきました。マイミーはトニーの手に自分の手を滑り込ませると、マイミーの手はとてもあたたかでしたが、トニーの手は冷え切っていました。マイミーはとてもやさしくしました。スカーフをとると、お兄ちゃんに渡したのでした! 「寒くなったらね」マイミーはささやきました。マイミーの顔は赤らんでいましたが、トニーの顔ときたらまっさおでした。
3人が丘の上までやってきたとき、トニーはマイミーに耳打ちしました。「ばあやに見つかっちゃうと、なんにもできないや」
マイミーは、これからまだ未知の恐ろしいことが起きるかもしれないのに、乳母のことしか恐れていないなんて、いよいよお兄ちゃんを尊敬し、大きな声でこういいました。「お兄ちゃん、門までかけっこしよう」そして小さな声で「それで、かくれればいいわ」と。2人は駆け出しました。
トニーは、いつも簡単にマイミーをはるかに引き離すことができました。今ほどの勢いでかけていくお兄ちゃんを見たことはありません。マイミーは、隠れる時間をかせぐために急いでいるに違いないと思っていました。「勇敢だわ、勇敢!」マイミーの信じきっているひとみは、そう訴えかけていました。とその時マイミーは大ショックをうけました。かくれるどころか、尊敬すべきお兄ちゃんは門の外へと駆け出して行ってしまったのです! このつらい光景を目にして、マイミーはぽかんと立ちつくしました。まるでエプロンいっぱいのすばらしい宝物を、突然あたり一面に撒き散らしてしまったみたいにです。そしてあまりに軽蔑しきったので、泣くことすらできませんでした。あまりに臆病なお兄ちゃんへの反感でいっぱいになって、マイミーは聖ガーバーの井戸へ駆け出して行き、トニーの代わりにそこに隠れました。
乳母が門のところまでやってきたとき、トニーははるか前に行っており、乳母はもう一人、マイミーもいっしょに行って姿が見えなくなったのだと思いました。たそがれどきになり、みんな公園から出て行きます。最後の一人は、いつも駆け足で出て行かなければなりません。マイミーは目をぎゅっと閉じて、思いがけず涙がでて目を開けることができませんでした。目を開けたとき、なにかとても冷たいものが手と足をすーっと登ってきて、心臓のところに落ちてきました。それは公園の静けさでした。それからカランという音を聞き、他からもカラン、別でカラン、遠くでカラン、門の閉まる音でした。
すぐに最後のカランという音も聞こえなくなり、マイミーははっきりとこう言っている声をききました。「万事問題なし」木がしゃべっているような音で、上から聞こえてきました。そこで見上げてみると、すぐに楡の木が両腕を伸ばして、あくびをしているのが目に入りました。
マイミーは思わず「木がしゃべるなんて!」と声にだすところでした。ただ金属からでるような声が井戸のところのひしゃくから聞こえてきて、楡の木に意見しました。「そこはちょっと寒くないかい?」そして楡の木は答えました。「そうでもないよ、ところで君はそんなに長い間一本足で立っていて、しびれてくるだろう」そして楡の木は、ちょうど御者が動き出す前にするように力強く手を振り回しました。マイミーは多くの背の高い木が、楡の木とおなじような動作をするのをみて本当にびっくりしました。そしてこっそりと赤ん坊の道まで出ていくと、注意を払いながらミノルカのヒイラギの木の下に身をかくしました。ヒイラギの木は両肩をひょいとすくめましたが、マイミーには気づかないようでした。
マイミーはすこしも寒くはありません。あずき色の子供用オーバーを着ていましたし、頭にはフードもかぶっていました。そして外から見ると、かわいい小さな顔と巻き毛以外はなにも見えません。その他の部分はあたたかな洋服にすっぽりつつまれていて、姿はまるまるとしたボールのようでした。まるでウエストのサイズが40もあるみたいです。
赤ん坊の道には、いろいろなものが行き来しました。マイミーが着いた時は、マグノリア(もくれん)とペルシアライラックが柵を越えて、さっそうと歩いて行くところでした。たしかに彼らはてきぱきと動いていましたが、それは松葉杖を使っていたからです。ニワトコは道をびっこを引きながら横切り、年若そうなカリンと立ち話をしていました。みんな松葉杖をついていて、松葉杖とは若い枝や下のほうの枝に結び付けられたステッキのことです。松葉杖はマイミーにとって、よく目にするものでしたが、今夜までどんな風に使うものか知りませんでした。
マイミーは道をこっそりのぞいて、初めて妖精をみました。その妖精は男の子の浮浪児で道をかけまわっては、垂れ下がった枝を閉じているのでした。そのやり方はこうです。妖精が木の幹に飛びかかると、木は傘みたいに枝を閉じ、木の下の小さな草木の上に雪をどさりと落とすのです。「わんぱく坊や、まったくわんぱくなんだから!」マイミーは腹をたてて叫びました。マイミーも、耳元のところに雨がしたたる傘をもってこられることがどういうことかは知ってましたから。
運がよいことに、いたずらな妖精はマイミーの声が聞こえなかったみたいです。ただ菊の花が、マイミーの声を聞いていました。菊の花は辛らつに「いやはや、どういうことだい?」と言い放ち、マイミーは出て来ざるをえませんでした。そして植物界は、どうしようかすっかり困ってしまいました。
「もちろん、私たちには関係ないですから」マユミの木は、みんなと何やらささやきあってからそう言いました。「でもここにいちゃいけないって知ってるでしょうに、私たちとしてはあなたのこと、妖精たちに言わなきゃならないわ。自分ではどう思ってるの?」
「妖精たちには言わないで」マイミーがそう答えたので、みんなは困ってしまって、怒りっぽい口調でマイミーのことなんかあれこれ言いたくもないと言いました。「もし自分で悪いことだと思ってたら、頼まないわ」マイミーはみんなに断言しました。もちろんこう言われては、告げ口できません。みんなは口々にこう言いました「なんてことなの」とか「人生なんてそんなもの!」とか。木たちの口ぶりときたら、まったく嫌みになるときがあるのです。でもマイミーは、松葉杖をもっていない木たちのことをかわいそうに思ったので、いい子の発言をしました。「妖精たちの舞踏会に行く前に、一人ずつ散歩に連れていってあげる。私にもたれかかればいいわ」
これを聞いて、みんな拍手喝采です。マイミーは、みんなを赤ん坊の道まで連れていき戻ってきました。一度に一人ずつ。とてもよろよろしている木は腕や指でささえてやり、足元がおぼつかない木にはまっすぐ歩けるようにしました。外国の木が何を言っているのかさっぱりマイミーは分かりませんでしたけど、英国の木と同じくらい礼儀正しく接しました。
木たちもみんなだいたい礼儀正しかったのですが、なかにはナンシーやグレースやドロシーを連れて行ったところまで私をつれて行ってくれないの、とめそめそ泣くものもいました。またマイミーにぎざぎざをつけるものもいました。ただわざとではありませんし、マイミーは礼儀正しい女の子でしたので叫び声はあげませんでした。マイミーはあんまり歩いたので疲れましたし、舞踏会に遅れるのではと心配になりました。でも、もう恐い気持ちは全然ありません。恐くなくなったのは、夜の時間になったからでもあります。暗くなると、そうです、マイミーはかなり変わった女の子になりますから。
木たちはマイミーを行かせたがりません。それで「妖精たちがあなたを見たら、いたずらするよ。つついたり子供の面倒をみさせたり、なにか退屈なもの、一年中緑のかしの木なんかにかえてしまうかもしれないよ」と注意しました。こういいながら、木たちは悪いなぁと思いながらかしの木を見ました。実は、一年中緑のかしの木をねたましく思っていたのです。「ふーん!」かしの木は辛らつに言い返しました。「ここに首までボタンをしめて立っていて、君らがはだかでぶるぶる震えてるのを見るのはどんなに楽しいことか」
自分たちで言い出したくせに、こう言われると他の木たちは、すっかりすねてしまいました。そしてマイミーにもし舞踏会に行くとだだをこねると、どんな危険がまちうけているかさも憂鬱そうに説明するのでした。
マイミーは、すでにムラサキハシバミから宮殿はいつものような平穏な様子ではないということを聞いていました。それは、クリスマスひなぎく公爵のじりじりさせる心のせいなのです。クリスマスひなぎく公爵は東洋の妖精で、ひどい病気にかかっており、つまり愛することができないためにとても不幸でした。いろいろな土地でさまざまな女の人を愛そうとしたのですが、誰も愛することができませんでした。ケンジントン公園を治めていたマブ女王は、自分の娘たちなら公爵をうっとりさせることができるだろうと自信をもっていました。ただ医者がいうには、公爵の心は凍ったままなのでした。このかなりいらいらさせる医者は、公爵のかかりつけの医者で、女性が公爵の面前に現われるとすぐに公爵の心に手をあてて、はげあがった頭をいつも左右にふると、「冷たい、きわめて冷たいですな」とつぶやきました。もちろんマブ女王は面目をつぶされたと感じて、最初は、9分間の間、宮殿を涙であふれさせることを試してみました。それからキューピッドを責め、公爵の凍りついた心をとかすまで道化者の帽子をかぶるよう命令しました。
「なんとしても、道化者の帽子をかぶったキューピッドをみたいわ」とマイミーはさけぶと、向こう見ずにもキューピッドを探しにかけだしました。キューピッドというものは、笑われるのが大嫌いなのですが。
妖精たちの舞踏会が開かれている場所を探し出すのは、いつも簡単なことです。というのも舞踏会の場所と公園の人通りがはげしい場所との間にはリボンがはりわたされていて、招待された人たちは舞踏用の靴が濡れないように、ダンスするところまでその上を歩いて行けましたから。今夜のリボンは赤で、雪の上でひときわ映えました。
マイミーは、誰にも出会うことなくしばらくリボンの一つにそって歩いて行きました。しかしついにマイミーは妖精の大パレードが近づいてくるのを目にしました。びっくりしたことに、パレードは舞踏会から引き返してくるようでした。マイミーは膝を折り両腕をのばし、公園の椅子のようなふりをしてぎりぎりパレードから姿を隠しました。前に6人、後ろに6人が馬に乗っていて、真ん中に2人の小姓に服の長いすそをもたせている上品な女性が歩いていました。まるで長いすに腰かけているようで、一人の愛らしい少女がもたれかかっており、これが上流階級の妖精たちが旅をするやり方でした。女性は金色のドレスに身をつつんでいましたが、なんといってももっとも羨望の的なのは首でした。色が青くビロードの手触りで、白いのどではそれほど映えないぐらい、ダイアモンドのネックレスをいっそう引き立たせていました。生まれが高貴な妖精たちは、このみとれる効果を上げるために、肌に針をさすのです。針をさすと、青い血が出てきて肌が青く染まるのです。そしてあなたが宝石商のショーウィンドウで女性の上半身でも見たことがない限り、それほど目がくらむものを想像することさえできないでしょう。
マイミーは、大パレードが怒っているようにも見えることにも気づきました。妖精ができうるかぎり鼻をつんと上に向けていたのです。マイミーはまたあの医者に「冷たい、きわめて冷たいですな」と言われたにちがいないと思いました。
さて、マイミーはリボンをたどって、水のかれた水たまりにかかっている橋のようになっている所までやってきました。そこでは、ある妖精が水たまりにはまりこみ這い上がれなくなっていました。初めこの小さな少女はマイミーを恐がっていましたが、マイミーがやさしく彼女を助け出したので、すぐにマイミーの腕の中で楽しそうに話し出しました。自分の名前はブローニーで、今はしがない街の歌い手だけど、舞踏会に行って公爵にお目にかかろうと思うのと話してくれたのです。
「もちろん、わたしは目立たない女の子よ」少女がそう言うのを聞いて、マイミーは居心地が悪くなってしまいました。というのもこの飾り気のない小さな少女は、妖精としては全く地味でしたから。
なんて答えていいのかわかりません。
「あなたが、わたしにはチャンスがないって思ってるのはわかるわ」ブローニーはためらいながら言いました。
「そんなこといってない」マイミーは礼儀正しく答えました。「もちろんあなたの顔は、少しばかり平凡だけどね、でもね」マイミーは、実際のところとても困ってしまいました。
運がいいことに、マイミーはお父さんとバザーのことを思い出しました。お父さんは社交界のバザーへ出かけて行ったのです。そのバザーでは、2日目にはロンドン中の全ての美しい女性を半クラウンでみることができました。でも家に帰ってくると、マイミーのお母さんにがっかりするどころが、こう言ったものでした。「また平凡な顔を目にするのが、どれほど落ち着くかわからないだろうなぁ」
マイミーがこの話を繰り返すと、ブローニーはとても勇気づけられたようでした。実際ブローニーは、公爵が自分を選ぶだろうということをこれっぽちも疑っていませんでした。そして彼女はリボンの上を駆けていきました。マイミーには、女王がなにかするといけないから後をついてこないようにと言い残していきました。
でもマイミーの好奇心は、彼女の足を前へ前へと進ませます。そして7本のスペインのクリの木のところで、素敵な明かりを見ました。マイミーは明かりのごく近くまで、這って近づきました。そして木の陰から覗き見しました。
その明かりは、ちょうどあなたの頭ぐらいの高さのところにあり、無数のホタルがひとかたまりになって形作られているようで、妖精たちの輪の上で目も眩むようなパラシュートの傘の形をしていました。何千人もの小人が見物していましたが、あの光り輝く輪の中にいる燦然たる妖精に比べると陰になっていて、色もくすんで見えました。妖精たちはどぎまぎするほど明るくて、マイミーは眺めている間はずっと、はげしく瞬きしなければなりませんでした。
マイミーにとっては、クリスマスひなぎく公爵がほんのひとときでさえ人を愛することができないことが驚くべきことで、またいらいらさせられることでした。でも公爵の憂鬱な態度からは、まだ人を愛してないことがありありとわかります。気にしてはいないふうは装っても、辱められたような女王と宮殿のものたちの様子からもわかります。また公爵によい返事をもらうため連れてこられた魅力のある女性たちがだめだと言われて泣き出したことや、公爵自身のつまらなそうな顔からも人を愛していないことはわかります。
マイミーは、公爵の心を触診しているもったいぶった医者の姿も見ることができました。医者がオウムの鳴き声みたいな声をだしているのが聞こえます。マイミーは、キューピッドたちのことは本当にかわいそうに思いました。キューピッドたちは道化帽をかぶり、人目につかない場所に立ち、例の「冷たい、きわめて冷たいですな」を聞くたびに面目ないといった感じで小さな頭を垂れていましたから。
マイミーはピーターパンを見ることができなくてがっかりしました。ピーターがその夜はどうしてそんなに遅れたかお話ししておきましょう。それは、ピーターのボートがサーペインタイン池で一面の流氷に囲まれて閉じ込められたからです。ピーターは、頼みのオールで危険な道を切り開かなければなりませんでした。
妖精たちは、今のところピーターがいないことに気づいていません。というのもまだ心が重くなっていて踊るどころではありませんから。妖精たちは悲しくなるとダンスのステップを忘れてしまい、楽しくなると思い出す生き物です。デビットがわたしに教えてくれました。妖精たちは“幸せ”とは言わない、“踊りたい”と言うんだと。
今のところ、妖精たちは全然踊りたくなさそうでした。そのとき突然、見物人の中から笑い声が起こりました。ブローニーが引き起こした笑い声です。ブローニーは、いま到着したところで公爵にお目にかかりたいと申し出たのです。
マイミーは、友達のブローニーがどうなるか首を伸ばして見守りました。実際のところ見こみはなさそうでした。ブローニーは自信満々だったんですが、ブローニー以外には少しでも望みがあると思っているものはいませんでした。ブローニーは公爵の前につれて行かれ、そして医者が公爵の胸の上にそっけなく一本指をあてました。公爵のダイヤモンドのシャツの胸のところには、ちいさな扉がついていて指をあてるのに便利なようになっていました。そして無意識に「冷たい、きわ、」と言いかけて、突然いいよどみました。
「これはいったい?」医者は叫んで、はじめ胸を時計のように揺さぶりました。それから胸の上に耳をあてました。
「なんてことだ!」医者は叫ぶと、この時には見物人からのどよめきも大きくなり、妖精たちがあちこちで気を失いました。
全ての人が固唾をのんで公爵を見守り、公爵もとても注目をあびて、逃げ出したいようにも見えました。「これは驚いた!」医者がつぶやいているのが聞こえます。そして今、心には明らかに火がついていました。医者は公爵の心にあてていた指をひっこめて、口の中に入れて冷やしたぐらいです。
興奮は絶頂でした!
そのとき医者は低い声で、頭をさげて「わが公爵どの」と勢い込んで言いました。「謹んで申し上げます。公爵どのは愛してらっしゃると存じます」
あなたは、こう言われた後がどうなったかは想像できないでしょう。ブローニーは両腕を公爵にさしのべ、公爵はその腕の中にとびこみました。女王は侍従長の腕の中にとびこみ、宮廷の女性たちは紳士の腕の中にとびこみました。全てのことにおいて女王のするとおりにするのが、エチケットでしたから。その瞬間に50組の婚礼がとりおこなわれました。お互いの腕の中にとびこむことが妖精の婚礼です。もちろん牧師も一人はいなければなりませんが。
どんなに観衆は騒いで、とびはねたことでしょう。らっぱが響き渡り、月が姿をあらわしました。そして、すぐさま数多くのカップルがまるで5月の踊りのときリボンをつかむように月の光を手につかみ、妖精たちの輪の周りで、はめをはずしてワルツをおどりました。そのなかでも一番おおはしゃぎなのは、キューピッドでした。あのいやな道化帽を脱ぎ捨て、宙高くほうり投げました。それからマイミーが姿をあらわし、全てを台無しにしてしまいました。マイミーもそうせずにはいられなかったのです。マイミーは、自分の小さな友達の幸せに大喜びで、思わず足が前にでてうれしそうに叫んだのでした。「あぁブローニー、なんてすばらしいの!」
全員がたちすくみました。音楽はやみ、明かりは消え、全てはあなたが「まあ」というぐらいの時間で起こりました。マイミーはあぶないわと思いましたが、自分が閉門から開門までの時間に禁じられた場所にいる迷子だと思い出すには遅すぎました。怒りに満ちた観衆のぶつぶつ言う声がマイミーの耳に入り、数多くの剣がマイミーの血を求めてきらりと光りました。マイミーは恐怖のあまり叫び声をあげ、逃げ出しました。
どれほど走ったことでしょう! 走っている間マイミーの両目は、顔から飛び出しそうになったほどです。何回も転んで、その度に飛び起きてまた走りつづけました。その小さな心は恐怖に絡め取られて、もはや公園にいることもわからないありさまでした。ひとつだけ確かだったことは、走る足をとめてはいけないということでした。なので、マイミーはイチジクの森に転がり込んで、眠りに落ちたあともずっと走りつづけてるんだと思ったぐらいでした。自分の顔に降り積もる雪をお母さんがお休みのキスをしてくれてるんだと思ったのでした。積もった雪を暖かい毛布だと思って、頭までかぶろうとしたぐらいです。夢の中で話し声が聞こえましたが、それはマイミーが寝ている時に、お母さんがお父さんを子供部屋のドアのところまで寝顔を見せにつれてきたのだと思いました。しかしそれは妖精の声でした。
すでに妖精たちがマイミーに危害を及ぼす意思がないことをお話しできるのは、とてもうれしいことです。マイミーが走り去ったとき、「殺しちゃえ!」「なにかヘンなものに変えろ!」なんて叫び声が響き渡りましたが、誰が最初に追いかけるべきかなんてことを相談している間に追跡するのが遅れてしまいました。そうしていると公爵夫人のブローニーが女王の前にひれ伏して、贈り物をいただきたいと申し出ました。
花嫁には、贈り物をもらう権利があるのです。ブローニーが望んだのは、マイミーの命でした。「それ以外のものを」マブ女王は厳しく答えました。そして全ての妖精たちが口々に「それ以外のものを」と気勢をあげました。でもどれほどマイミーがブローニーに力を貸したかが分かりましたし、マイミーを舞踏会に招待することが自分たちの栄誉と名声に結びつくことがわかりましたので、小さい人間の子のために妖精たちは万歳三唱しました。そしてマイミーに感謝するため、軍隊みたいに出発しました。宮殿のものたちが先頭で、傘のような明かりがそれに歩調を合わせます。雪の上の足跡でマイミーの跡をつけるのは簡単なことでした。
イチジクの森の雪ふかくにマイミーを見つけましたが、マイミーに感謝の言葉は伝えられそうにありません。というのもマイミーを起こすことができないのです。みんなは、マイミーに感謝をする式典を始めました。つまり新しい王様がマイミーの体の上に立ち、長い歓迎の挨拶を読みあげるのです。マイミーの耳には、その挨拶の一言さえも届きませんでしたが。マイミーの上に降り積もった雪もどかしたのですが、すぐにまた降り積もってしまいました。そしてマイミーが寒さで危険なことが、妖精たちにはわかりました。
「寒さを気にしないものにかえてはどうだい」医者の提案はよいものに思えましたが、彼らが寒さを気にしないものとして思いついたのは雪だけでした。「雪ではとけてしまうよ」女王が注意を促しました。そこでなにかにかえてしまう案は、あきらめなければなりませんでした。
屋根があるところまでマイミーを運ぼうというのもいい案でしたが、おおぜいの妖精がいたにもかかわらず、マイミーは重すぎました。すでにこの時、女性たちはハンカチを目にあてていました。そこでキューピッドが素敵な案を思いつき、声を大きくしていいました。「彼女の周りに家をたてればいいよ」すぐに全員が、それこそしなければならないことだということが分かりました。ただちに百人の木こりの妖精が木々の間に入っていき、建築家はマイミーの周りを走りまわり、測量をします。れんが職人もマイミーの足元で作業を始めました。75人の石工が家の基礎になる石の作業に急いでとりかかり、女王がそれを積み上げました。そして子供たちを近づけないように、監督員が任命されました。足場が組み上げられ、かなづちやのみや旋盤の音があたり一面になり響き、こうして屋根が架けられ、ガラス工は窓にガラスをはめこんでいきました。
家はちょうどマイミーのサイズにぴったりで、まったくかわいらしいものでした。マイミーの片腕は伸びていたので、これがいっとき妖精たちを悩ませましたが、腕の周りにベランダをつくることにしました。それが玄関につながるようにしたのです。窓は色がついた絵本の大きさで、ドアはそれよりいくぶん小さめです。ただマイミーが外にでたければ、屋根を取り外した方が簡単でしょう。妖精たちはいつもの癖で、自分たちの賢さにうれしくなって手をたたきました。そしてその小さい家に夢中になって、もう作り終えたとは考えたくないほどでした。そこで家にいつまでもたくさん小さな修正を加えました。そして加えた後にも、もっとつけ加えたのです。
たとえば、妖精のうち2人がはしごを登って煙突をつけて、「もうすっかり終わりだな」とため息をつきました。
でも他の2人がはしごを登って、煙突にけむりを少しつけ加え、「これでおしまい」としぶしぶ言いました。
「いやいや」あるホタルが大きな声でいいました。「もし目をさまして明かりがなかったら、こわがると思うよ。だから僕が彼女の明かりになるよ」
「ちょっとお待ち」ある瀬戸物の商人が口をはさみました。「わたしが明かりのお皿を用立てよう」
さぁ、もうこれで本当のおしまいでしょうか?
いいえ、ちがいました!
「しまった」と一人のしんちゅうの金具屋がさけびました。「ドアに取ってがないや」そしてすぐに、取ってをつけました。
金物屋は玄関の中にくつのよごれをおとすマットを、ある老婦人は玄関の外にくつのよごれをおとすマットを備え付けました。大工は雨水をためる樽を持ってきますし、ペンキ屋はそれにペンキをぬらなきゃと言い張りました。
とうとう終わりです!
「おしまいだって! どうして終わったっていえるんだい、」鉛管屋があざ笑うようにいいました。「お湯と水がなくてね?」そしてお湯と水がでるようにしました。庭師の一団が妖精の手押しと鍬と種と球根と温室をもって駆けつけて、すぐにベランダの右側に花壇を左側に野菜園を作りました。家の壁は、ばらとぼたんづるで飾り立てます。そして数分もしないうちに、家も庭も花が咲き誇ったのでした。
まぁ、どれほどその小さな家は美しかったことでしょう! でもとうとう本当のおしまいです。妖精たちはその場を離れて、ダンスに戻りました。去るときは家にむかって投げキッスをして、最後に家を離れるのはブローニーでした。ブローニーは、煙突から楽しい夢を投げ込むために、他の妖精たちより少しあとまでとどまっていたのでした。
よくできた小さな家はイチジクの森のその場所にマイミーを守るようにして、夜通し立っていました。マイミーはまったくそのことを知りませんでした。マイミーは夢がすっかり終わるまでぐっすり寝ており、まるで朝がたまごから生まれてきたようなとても快適な気分で目をさましました。そしてそれから再び眠くなって、「トニー」と声をかけました。
マイミーはすっかり家の子供部屋にいると思い込んでいましたから。トニーがなんの返事もしないので、マイミーは起き上がると、屋根に頭をぶつけてしまいました。すると屋根は箱のふたみたいに開きました。さらにマイミーを驚かせたことに、ケンジントン公園はあたり一面雪景色でした。マイミーは自分が子供部屋にいないので、本当にこれが夢じゃないかと、自分のほおをつねってみました。そして現実だということがわかりました。頬をつねって、マイミーがすごい冒険の真っ最中だということも思い出しました。マイミーは、閉門以降、妖精たちから逃げ出すまでに起こったこと全てを思い出しました。でもマイミーは自問自答してみました。このすてきな場所にはどうやってはいりこんだのかしら? 屋根から外へ、庭の右のあたりにでてみると、一晩をすごしたその素敵な家を見ることができました。あまりに魅力的だったので、他のことはなにも考えられないくらいでした。
「あらまぁ、素敵、なんてきれいなお家なの!」マイミーはおもわず声をあげました。
たぶん人の声が小さな家を驚かせたのでしょう、あるいは役目は果たしたと思ったのかもしれません。マイミーが話しかけると、すぐにその家は小さくなりました。とてもゆっくり小さくなったので、マイミーには小さくなっているのが信じられませんでした。でもすぐにもう自分が中には入れないことはわかりました。全てが前と同じなのですが、ただだんだん小さくなっていくのです。そして庭も同時にだんだん小さくなるのでした。雪がしのびよってきて、家と庭をすっかり包んでしまいました。もう家は犬小屋と同じ大きさぐらい、そしてノアの箱舟と同じ大きさになりました。でもまだ煙突の煙やドアの取ってや壁のばらはみることができましたし、全てがそのままでした。ホタルの明かりも青白くともっています。「ねぇ、きれいなお家、行かないで!」マイミーはひざまずいてさけびました。小さな家は、今や糸巻きくらいの大きさになりましたが、まだ全てがそのままでした。マイミーがお願いするように両手をのばしたとき、雪があちらこちらから忍び寄りました。そして小さな家があった所は、まっさらな雪が広がっているだけでした。
マイミーはやんちゃにも足を踏みならしましたが、指で涙を拭おうとしたときに、やさしい声が聞こえました。「泣かないで、かわいい子、泣かないで」マイミーが振り返ると、彼女の方を何かを求めるように見つめる、美しい小さなはだかの男の子を目にしました。マイミーは、すぐにピーターパンにちがいないと分かりました。
4章 閉門の時間
妖精について詳しくなろうとすることは、恐ろしく難しいことです。ただ一つはっきりしていることは、子供がいるところには妖精がいるということです。ずっと昔、子供はケンジントン公園にはいることを禁じられていました。そのとき、公園に妖精は一人もいませんでした。子供が公園に入ることを許されると、まさにその晩に妖精たちもぞろぞろ集まってきました。妖精たちは我慢できず、子供たちのあとをついて行ってしまうのです。ただあなたがめったに妖精を目にすることがないのは、一つには、昼間、妖精たちは子供が行くのを禁じられている垣根の裏に住んでいるからですし、もう一つには妖精たちがずるがしこいからでした。妖精たちは、閉門後はこれっぽちもずるがしこいということはありません。でも閉門までといったら、言葉にしがたいほどです!
あなたが鳥だったときは、妖精たちのことをとてもよく知っています。そしてあなたがあかんぼうのときは、妖精について多くのことを覚えていますが、ただそれを書き記すことができないのは、とても残念なことです。だんだんあなたは忘れて行きます。妖精なんて一人もみたことないや、と言いはる子供のことをわたしは耳にしたことがあります。とてもありそうなことですが、もしケンジントン公園でそういったなら、始終妖精を目にしながらそこに立っていることになるのです。子供たちがだまされてしまうのは、妖精がなにか別のもののふりをしているからです。これが妖精のよくつかう手口のひとつで、妖精はふつう花のふりをします。なぜならその場所は、妖精の溜まり場に位置していましたから。そして赤ん坊の道沿いにはたくさんの花があったので、一本の花ではまったく興味をひかないのです。妖精たちはまさに花のように着飾り、ゆりがさいているときは白く、ツリガネスイセンが咲いているときは青くといった具合に季節によって装いをかえました。妖精たちはクロッカスとヒヤシンスの色が大好きで、その季節が一番お気に入りでした。でもチューリップ(白以外です、白いチューリップは妖精のゆりかごです)は派手すぎると妖精たちは思っていたので、時々チューリップみたいに着飾ることを何日も先延ばしにしました。なので、だいたいチューリップが咲き始める最初の数週間が、妖精たちを見つける一番いい季節だったりします。
妖精たちは、あなたが見ていないと思っているときは、とてもいきいきとスキップをしています。しかしあなたが目をやって、隠れるひまがないと、妖精は花のふりをしてぴくりとも動きません。そしてあなたが妖精たちだとは気づかずに通り過ぎると、いそいで家に帰ってお母さんにこんな大冒険をしたんだよと報告するのでした。覚えてらっしゃるでしょうか、妖精の溜まり場はツタで覆われていて、妖精たちはツタからヒマシ油を作りました。そのあちらこちらに花が育っていました。花のほとんどは本当の花でしたが、いくらかは妖精でした。あなたは、どれが妖精か決してはっきりとはわからないでしょう、でもよい方法があります。別の方を見ながら歩いていて、突然振り返るのです。もう一つのよい方法は、デビットとわたしが時々やった方法ですが、じっと見つめることです。ずっと見つめていると、妖精たちはまばたきしてしまいます。そうすれば、確かにそれが妖精だということがわかるでしょう。
赤ん坊の道沿いにも何人もの妖精がいます。赤ん坊の道は有名な場所で、妖精たちがよく訪れるところといわれています。かつて24人の妖精が、そこで大冒険をくりひろげました。妖精たちは、女教師といっしょに女学校から散歩に出かけました。みんなヒヤシンスのガウンを着ていました。突然教師が口に指をあてると、全員花壇の空いているところに立って、ヒヤシンスのふりをしました。ついていないことに、教師がききつけたのは、2人の庭師がまさにその花壇の空いている所に花を植えにきた音でした。かれらは手押し車に花をのせてやってきました。そしてその場所に花が植えられているのをみてとても驚きました。「ヒヤシンスを抜くのはかわいそうだなぁ」一人がいいましたが「公爵の命令だからな」ともう一人が応えました。そして手押し車から花を下ろすと、その寄宿学校を掘り起こして、とてもかわいそうなことに妖精たちを5列にして手押し車にのせました。もちろん教師も生徒もあえて自分たちが妖精だとばらすものはいません。そして遠くの小屋まで運ばれていきましたが、夜のうちに、そこからくつもはかずに逃げ出しました。でも親たちの間ではそのことで大さわぎになり、学校はつぶれてしまいました。
妖精たちの家を探しても無駄なことです。なぜならわたしたちの家とは似ても似つかないものだからです。わたしたちの家は、昼間はみえますが、暗くなるとみることができません。でも妖精たちの家は、暗くなると見えるものなのです。でも昼間は見ることができません。妖精たちの家は、夜の色なのです。昼間に夜を見たことがある人の話は聞いたことがないでしょう。妖精たちの色が黒というわけではありません。夜にも昼とおなじように色があるのです、ただ昼の方がはるかに明るいだけなんです。妖精たちの青や赤や緑は、わたしたちのものと同じようなもので、背後から光でてらされているのです。妖精の宮殿はあたり一面がいろいろな色のガラスで作られていて、どんな王族の住居と比べてもひけをとらないものです。でも女王は自分が何をしているか一般の人が覗いていると、ときどき文句を言いました。妖精たちはとても知りたがりやだったので、ガラスに強く顔を押しつけるのでした。それが妖精たちの鼻が、たいがいしし鼻である理由だったりします。宮殿の道は何マイルも続いていて、とても曲がりくねっています。両側には、はなやかな毛糸でつくられた小道がありました。鳥たちは毛糸を自分たちの巣をつくるために盗んでいったので、警官が一人、一方の端をきちんとつかんでいるように任命されたぐらいです。
妖精たちとわたしたちの大きく違うところの一つは、妖精たちは役にたつことはなにもしないということです。最初のあかんぼうが生まれて最初に微笑むとき、その笑いが無数の破片になって、とびはねます。それこそが、妖精の生まれるところです。あなたも知っているように、妖精たちはいつもとても忙しそうに見えました。まるで余分な時間は少しもないといった具合です。でももし妖精たちに何をしているのかを尋ねたら、何一つ説明できなかったでしょう。妖精たちはびっくりするほど無知です。そしてやっていることといったら、してるふりだけなのです。妖精たちには郵便屋がいます。でもクリスマスのとき小さな箱を持ってくる以外は、やってくることはまずありません。すてきな学校がありましたが、そこではなにも教えていないのです。もっとも幼い子供がいつも教師として選ばれました。でも教師が出席をとると、生徒は外に歩きに出かけてしまい、戻ってこないのです。妖精の家族ではもっとも年が若い者が必ず主人であり、たいてい王子や王女になることはとても注目すべきことです。子供はそのことを覚えているので、人間の世界でもそうに違いないと考えるのです。そしてそれがお母さんにひそかにゆりかごに新しいフリルをつけているのを見ると、不機嫌になる理由でしょう。
あなたはたぶん、あなたのあかんぼうの妹がお母さんや乳母がしてほしくないと思うことなら何でもしたがることに気づいていることでしょう。座っていなければならないときに立ち上がり、立っていなければならないときには座り込み、寝なければならないときには目を覚まし、一番いい服をきているときに床をはいまわったりといった具合です。たぶんあなたは、それをやんちゃなせいにするかもしれません。でもそうではないのです。それは単に、妖精たちがしていることをみたままに真似しているだけです。生まれたては妖精のやり方を真似して、人間のやり方になれるまでにはだいたい2年ぐらいかかるものです。あかんぼうのかんしゃくのけいれんは、見ているのは恐ろしいもので、しばしば歯が生えてくるからと言われていますが、ぜんぜんそんな理由ではありません。それはあかんぼうにとってごく自然な怒りのしるしなのです。とてもわかりやすい言葉だというのに、わたしたちが理解できないから、怒っているのです。子供は話す妖精です。他の人が気づく前に母親や乳母があかんぼうの言っていること、たとえば“ちょ”が“わたしにすぐそれをちょうだい”とか“なっ”が“なぜそんなにおかしな帽子をかぶっているの”に気づくのは、あかんぼうとふれあっているので、妖精のことばをすこしばかり理解しているということなのです。
最近、デビットは、両手でこめかみを強く押さえて昔を振り返り、妖精の言葉を思い出そうとしました。そしてわたしが忘れなければ、いつかお話しできるいくつかの言い回しを思い出しました。デビットは、自分がつぐみだったときにその言い回しを聞いたということです。わたしが、たぶんそれは鳥の言葉じゃないかなとほのめかしたときも、彼はそうじゃないと言いはりました。そしてその言い回しは、おもしろいことと冒険のことだということ、そして鳥たちは巣作りのこと以外はなにも話さないということを思い出しました。デビットははっきり思い出しました。鳥たちが、店のウィンドウからウィンドウへと歩き回る女性のように「この巣は色が気に入らない」、「中がこんなにやわらかいんじゃ」とか「でも着てみようかしら」とか「なんてひどい具合なの!」と言いながら別の巣を探して、ある場所から別の場所へと落ち着かないものであることを。
妖精たちは、見事な踊り手でした。それが、あかんぼうが生まれて最初にすることの一つが、あなたに自分にあわせてダンスするようにと合図して、あなたがそうしたときに泣き声をあげることである理由です。妖精たちは戸外で大舞踏会を行いました。それは妖精のリングと呼ばれています。そのあと何週間もの間、芝生でそのリングをみることができるでしょう。妖精たちが踊りはじめたときには、リングはありません。でも妖精たちがくるくるまわりながら踊ることでリングが形作られるのでした。リングのなかにマッシュルームを見つけるかもしれません。それは、妖精の召使たちが片付け忘れた妖精のいすでした。いすとリングが、妖精たちがあとに残して行く唯一の秘密をばらすものでした。もし妖精たちが、門が開くぎりぎりまで爪先立って踊るほどダンスが好きでなければ、いすやリングは片付けたでしょう。デビットとわたしは、一度妖精のリングがきわめてあたたかかったことに気づいたものです。
でも、舞踏会がとりおこなわれることを事前に知る方法は他にもあります。公園が今日何時に閉まるかを知らせる掲示はごぞんじでしょう。さて、ずるがしこい妖精たちは、ときどき茶目っ気たっぷりに舞踏会の夜は掲示を変えてしまうのです。つまりたとえば掲示が公園は7:00に閉まるとなっている代わりに、6:30に閉まるとしてしまうのです。そうすることで、妖精たちは30分早く舞踏会を始めることができました。
もしそんな夜に、あの有名なマイミー・マナリングがしたようにわたしたちが公園に残っていたとすれば、すばらしい光景をみることができるでしょう。何百もの美しい妖精たちが舞踏会に急ぎ、結婚している妖精は腰に結婚指輪をして、男の人は全員正装で、女性のすそを持ち上げていました。そしてたいまつ持ちたちは先頭を走って、妖精のたいまつである冬のさくらんぼを運んでいました。クロークでは銀のスリッパにはきかえて、オーバーを預け、引換券をうけとります。花たちは赤ん坊の道から見物するために押しよせてきて、いつも歓迎されました。なぜなら花たちはピンをかしてくれたからです。夕食用のテーブルは上席にマブ女王がすわり、女王の椅子の後ろには王室長官がつづき、たんぽぽをもって女王陛下が時間を知りたいときは、それを吹くのでした。
テーブルクロスも季節によってかわります。5月には栗の花から作ります。妖精の召使はこうやってテーブルクロスを作ります。召使の20人ほどが木にのぼり、枝をゆらすと、花が雪のように落ちてきます。そして女性の召使がスカートを払うことで花をはき集めて、ちょうどテーブルクロスになるようにするのでした。それが妖精たちのテーブルクロスを手に入れる方法です。
妖精たちは、本物のグラスと3種類のワインを持っていました。つまり黒い棘のワインとバーバリーのワイン、プリムローズのワインです。そして女王が注ぐのがきまりですが、ボトルがあまりに重いので女王は注ぐふりをするだけでした。はじめは、3ペンスばっかりの大きさのパンとバターがあり、最後にはケーキがでてきました。ただそれはとても小さいので、かけらもでないくらいでした。妖精たちはマッシュルームの上に丸く座って、最初はとても礼儀正しくて、テーブルを外して咳きこみます。しかししばらくすると、それほど礼儀正しくなくなって、古い木の根っこから取ってきたバターに指を突っ込む始末です。そしてひどい妖精になるとテーブルクロスの上にあがりこむと、砂糖や他のおいしいものをなめたりしました。女王はそんな様子を目にすると、召使にさっさとかたづけなさいと合図するのでした。そしてみんながダンスするために立ち上がり、女王が先頭を歩きます。王室長官が後に従い、2つの小さな壺を運んでいました。壺のひとつには、ニオイアラセイトウのジュースが、もうひとつにはユリのジュースが入っています。ニオイアラセイトウのジュースは、気を失ってたおれこんだ踊り子を気づかせるのに、ユリのジュースはうち傷にききます。妖精たちはすぐにうち傷を作ってしまいます。ピーターが笛を速くふけばふくほど、妖精たちは気を失ってたおれるまで踊りました。わたしが言うまでもなくおわかりでしょうが、ピーターパンは妖精たちのオーケストラでした。ピーターは妖精のリングの中心に腰をおろして、ピーターなしではすてきなダンスをするなんて思いもよらないことです。本当にいい家からの招待状の隅にはかならず、「P.P」(ピーターパン)とかかれていました。妖精たちは、また感謝の心をもっていて、王女の舞踏会へのデビューのときには(妖精は2才の誕生日にデビューします、そして誕生日は毎月あります)ピーターの望みをかなえてくれるのでした。
その様子はこのようでした。女王がピーターにひざまずくように命じて、それからとてもきれいな笛をふいてくれるなら、なんでもほしいものをあげようといいます。妖精たちはみんなピーターのまわりに、何がほしいのか聞くために集まりました。しかしピーターは長い間迷っていました。自分でも何がほしいのかはっきりしていなかったのです。「もしぼくがおかあさんのところにもどりたいとしたら、」とうとうピーターはこうたずねました。「ぼくのお願いをかなえてくれますか?」さあ、この質問にはみんな頭を抱えてしまいました。もしピーターがおかあさんの所に帰ってしまったらもう笛の音を聞くことはできませんから。そして女王が鼻をばかにしたようにつんと上を向けると、こういいました。「やれやれ、もっとましなお願いができないものかね」
「これはほんのささやかなお願いですか?」ピーターは尋ねました「これくらいささやかだね」女王は両手を近づけて、その小ささを示しながら答えました。「どれくらいの大きさなら、大きな願いといえるんですか?」とピーターが尋ねると、女王はスカートの上でその大きさを示しました。それはとても大きいものでした。
そしてピーターはよく考えて、言いました。「ええ、じゃあ、1つ大きなお願いをする代わりに2つのささやかなお願いをしたいと思うのですが」
妖精たちはピーターがかしこいのにかなりびっくりはしましたが、もちろん承知せざるをえません。そしてピーターは続けました。最初のお願いはおかあさんのところにいくことです。でもおかあさんに会ってがっかりしたときに、公園に帰ってくることを許してもらう2つ目のお願いはしばらく言わないことにしました。
妖精たちはピーターを思いとどまらせようとして、いろいろ邪魔をしようとさえしました。
「わたしはおまえに家まで飛んでいく力を与えよう」女王は言いました。「でもドアは開けてやらないよ」「出てきた窓が開いてるでしょう」ピーターは自信をもって言いました。「おかあさんはぼくが戻ってくると思って、窓をいつも開けておいてくれるんだ」
「どうしてそんなことがわかるんだい?」妖精たちは、とても驚いてたずねました。そして実際ピーターにも、どうしてわかるのかは説明できませんでした。
「わかるんだい」ピーターは言いはりました。
そしてピーターは自分のお願いも言いはったので、願いを聞かないわけにはいきません。飛ぶ力を与える方法は、妖精がピーターの肩のあたりをくすぐることでした。そしてピーターが肩の辺りにむずむずするものを感じると、だんだん空高く飛び上がりました。そして公園から飛び出して家の屋根を越えていきました。
自分の家までまっすぐ飛んでいくのではなく、セント・ポールをかすめて飛び越えて、クリスタルパレスへ行って、川へもどり、リージェント公園へ飛んで行くのは楽しいことでした。ピーターがおかあさんの窓のところまでたどりついた時には、2つ目のお願いは鳥になることとすっかり決めていたぐらいでした。
窓は大きく外に開かれていました。まさにピーターがそう思った通りです。そしてピーターは羽ばたいて中に入り、そこではおかあさんがねむっていました。
ピーターはベッドの足の方の木製の枠の上にゆっくり降り立つと、おかあさんにやさしく目をやりました。おかあさんは腕にあたまをのせて、まくらのへこんだところは鳥の巣みたいで、おかあさんのブラウンの波打った髪で縁取られていました。ピーターは、長い間忘れていましたが、おかあさんが夜はいつも髪をしばらないのを思い出しました。
おかあさんのナイトガウンのフリルは、なんてすばらしいんでしょう。ピーターは、自分のおかあさんがこんなに素敵なおかあさんであることをとても喜びました。
でもおかあさんは悲しげにみえました。ピーターには、どうしておかあさんが悲しげにみえるのか分かっていました。片腕がまるで何かを抱くように動きました。ピーターには、何を抱こうとしているのか分かっていました。
「あぁ、おかあさん」ピーターはつぶやきました。「もしベッドの足の枠のところに座っているのが、だれかわかりさえすればねぇ」
ピーターは、おかあさんの足の少し盛り上がっているところをとてもやさしくなでました。そしておかあさんがそれを喜んでいることが顔をみていてわかりました。でも「おかあさん」と声に出して言うのは、いくらやさしく言ってもおかあさんが起きてしまうのでいけないと思っていました。おかあさんというものは子供に名前を呼ばれれば、いつもすぐに目をさますものですから。そしてよろこびのあまりさけんで、きつくピーターをだきしめたことでしょう。そうであればピーターにとってもどんなによかったことでしょう。そしておかあさんにとっては、どれほどうれしいことだったでしょう。わたしが心配なのは、ピーターがそれくらいそのことを分かっていたかということでした。おかあさんのところに戻るにあたっても、ピーターは自分がおかあさんに女の人としての最大限の喜びを与えているんだということを疑ってみもしませんでした。ピーターは、自分の子供をもつほどすばらしいことはないと思っていたのでした。おかあさんというものは、どれほど子供をほこりに思うことでしょう。それはたしかに正しいし、当たり前のことでもあるのです。
でもピーターはなぜそれほど長い間ベッドの枠に座っていたのでしょう、なぜおかあさんに帰ってきたよと声をかけなかったのでしょう?
わたしは、本当のことを言うのはとても気が引けます。つまりピーターは、2つのことを考えてそこに座っていたのでした。おかあさんをなつかしげにみている一方で、窓の方もあきらめきれないようにみていたのでした。たしかにおかあさんの子供に再び戻るのは、楽しいことに違いありません。でもその一方で、公園もどれほど楽しかったことでしょう! また服をきてもたしかに楽しいかどうか自信がもてませんでした。ピーターはベッドを急に離れると、自分の昔の服をみるためにいくつか引出しをあけてみました。自分の服はまだそこにありましたが、どうやって着るのかはもう思い出せません。たとえば靴下は、手にはめるのかな、足にはくのかなといった具合です。靴下の片方を手にはめようとしていたときです。ピーターはびっくりしました。たぶん引出しが音を立てたのでしょう。とにかくおかあさんが起きてしまいました。おかあさんが「ピーター」というのが聞こえます。言葉の中でも一番美しい単語です。ピーターは床にすわりこんだまま、かたずをのんでいました。ピーターはどうして自分がもどってきたことがわかったのか不思議に思っていました。もしおかあさんが再び「ピーター」と呼んだなら、自分もおかあさんとさけんでおかあさんのところにかけていくつもりでした。でもおかあさんはそれ以上ひとこともしゃべらず、ただうめき声をあげただけでした。ピーターがのぞきこんだときは、おかあさんはまたねむりこんでいましたが、その顔にはなみだが流れていました。
ピーターはとてもみじめな気持ちになり、そしてどうしたと思います? ベッドの足の方の枠に座って、おかあさんのために美しい子守唄を笛でふきました。おかあさんが「ピーター」とよぶように、自分で唄をつくりました。ピーターは、おかあさんが幸せそうに見えるまで笛をふくのをやめませんでした。
ピーターは自分のことをとてもかしこいと思ったので、もうすこしでおかあさんを起こして、「ピーター、なんて上手に笛がふけるんでしょう」と言ってもらうところでした。でもおかあさんがだんだん満足そうに見えたので、また窓の方を見やりました。ピーターが飛び出して、二度と帰ってこないつもりだとは、考えないでください。ピーターはおかあさんの子供にもどることはすっかり決めていたのです。でも今夜にしようか迷っていたのでした。頭をなやましているのは、2つ目のお願いのことでした。もう鳥になりたいというお願いをするつもりはありませんが、2つ目のお願いをしないのもなんだか無駄に思えたのでした。もちろん妖精たちのところにもどらなければ、お願いすることもできないのですが。でももしあんまり長い間お願いを先延ばししていると、めんどうなことになるかもしれません。ソロモンにさようならもいわずに別れてしまうのも、心残りでした。「もう一回だけボートに乗りたいんだよ」ピーターは、眠っているおかあさんに悲しそうに話しました。ピーターはまるでおかあさんが話を聞いているかのように、話しつづけました。「鳥たちにこの冒険のことを話してやるのは素敵だろうなぁ」ピーターはなだめすかすように言いました。「帰ってくると約束するよ」ピーターははっきりそう言いましたし、本当にそうするつもりでした。
そしてやっぱり、最後にはピーターは飛んでいったのです。2回おかあさんにキスしようと思って、窓のところまで舞いもどりましたが、おかあさんを起こしてはいけないと思って、笛ですてきなキスをする曲をひくことにして、公園に飛んでかえっていったのです。
ピーターが2つ目のお願いを妖精たちにするのは、いく晩さらにいく月もたってからでした。それほどピーターが遅くなったのはどうしてか、わたしにもはっきりしたことは分かりません。理由の1つは、特別な友達だけではなく、たくさんの大好きな場所にもさようならを言わなければならなかったことです。それから最後の航海にでかけました。まさにピーターにとって本当の最後の航海でした。それからピーターの前途を祝して、お別れの宴が何回も開かれました。もう一つゆっくりしててもいい理由としては、結局のところ、急ぐ必要がなかったのでした。なぜなら、おかあさんがピーターを待っていることにうんざりすることは決してなかったからでした。その理由は、ソロモンを不機嫌にさせました。なぜなら鳥たちにもぐずぐずしろと言っているのと同じだったからです。ソロモンは鳥たちに仕事をさせるために、いくつものすばらしいことわざをもっていました。「明日産めるからといって、今日産めるのをのばさない」、「この世では、チャンスは二度とは来ない」などです。それだけにピーターが楽しそうに先延ばししているのは、いっそう悪いことでした。鳥たちはこのことをいろいろ言いましたが、だんだんなまけぐせがついてきました。
しかし、覚えておいてください、ピーターがおかあさんの所に帰るのをいくら遅らせているとしても、帰ることははっきり決めていたのです。このはっきりとした証拠に、ピーターは妖精たちには注意を払っていたのです。妖精たちは、ピーターに公園に残って笛をふいてほしいと望んでいました。これを実現するために、こんな風に言わせることでピーターをだまそうとしたのです。「ぼくは芝生がこんなに濡れていないほうがいいなぁ」とか妖精の何人かはピーターが思わず「もっとリズムに乗ってダンスしてほしいね」というように、リズムをはずしてダンスをしたりしました。それから、それがピーターの2つめの願いだと言おうとしたのです。しかしピーターは妖精たちのたくらみには乗りません。ときどき「ぼくの願いは」と言いかけるのですが、いつもすぐに言葉をとめてしまうのでした。ただとうとう最後に勇気をふりしぼって、「ずっとおかあさんのところに戻っていたい」と言った時には、肩のところをくすぐって、行かせてやらなければなりませんでした。
ピーターは最後には、急いで行くことにしました。おかあさんが泣いている夢を見たからです。おかあさんが何を求めて泣いているかは知っていました。そしてすばらしいピーターを抱きしめられさえすれば、すぐにでもおかあさんが微笑むのも知っていました。ピーターは、そのことを確信してたのです。ピーターは、おかあさんの腕によりそいたかったので、今回はいつも自分のために外に開かれている窓のところまでまっすぐ飛んでいきました。
しかし窓は閉じていました。そして鉄のかんぬきがそこにかかっていたのです。中をのぞいてみると、おかあさんが腕の中に別のあかんぼうを抱いて、幸せそうにねているのが見えました。
ピーターは叫びました。「おかあさん! おかあさん!」ただ、おかあさんの耳にはとどきません。自分の小さな翼で鉄のかんぬきをがたがたさせてみましたが、無駄でした。ピーターはすすりなきながら、公園に戻って来なければなりませんでした。そして二度とおかあさんを見ることもありませんでした。ピーターが、どれほどおかあさんにとっていい子になろうとしたことでしょう。わたしたちは大きな失敗をすると、二度目のチャンスにはどれほどのことをしなければならないんでしょう。しかしソロモンは正しいことを言いました。二度目のチャンスはなし。わたしたちにとっても二度目のチャンスはありません。窓のところまで来たときには、もう閉門の時間でした。鉄のかんぬきで、死ぬまで締め出されてしまうのです。