I
此は真なる報告たり、多々の実例も亦た在りし故、学と賢を知る者は反駁すまい、蛇の目には磁的なる力あり、其の催眠に欺かれる者は自らの意思に依らずして吸い寄せられ、其の一噛みで無惨な死を遂げり。
ハーカー・ブレイトンは、ガウンにスリッパという姿でソファに体をのばし、にやにや笑いながら故モリスターの『驚異の科学』を読んでいた。「驚異なのはただ」彼は独り言を言った。「モリスターの時代の学者や賢者が、このたわごとを信じてたに違いないってことだけだ。今では大抵の馬鹿でも違うと知っているのに」
ブレイトンは思索家タイプだった。思索にふけりはじめた彼は、顔はそのまま、本を持つ手を無意識に降ろした。本が視界から消えさったそのとき、薄暗い部屋の隅にある何かが彼の気を引いて現実に呼びもどした。彼が見たものは、ベッドの影の奥で光るふたつの小さな点だった。そのふたつの光はおよそ
II
説明の必要はなかろうが、幸いにも、近代都市の寝室という快適なすみかをもつ蛇は、それほど一般的な存在ではない。ハーカー・ブレイトン――
建築学および「快適な住まい」という点で見ると、
III
うずくような驚きの衝撃と単純な嫌悪からくる震えはあったが、ミスター・ブレイトンはほぼ冷静さを保っていた。彼が最初に考えたのは、ベルを鳴らして使用人を呼ぶことだった。が、ベルの紐は簡単に手が届く場所にぶら下がっていたのに、彼は手を伸ばさなかった。彼の心に起こったのは、その行動が自分を恐怖感や嫌悪感に服従させるのではないかという考えで、それは確かに彼が感じているものではなかった。彼はその危険性に動揺しているわけではなく、今の状態に対して、ややバランスを欠いた生来の意識をするどく保っていた。状況は不快であったが、何より理に叶っていなかった。
ブレイトンは爬虫類という生物種に精通していなかった。その体長は推測することしかできなかったが、目に入る中でもっとも太い部分は、だいたい彼の二の腕くらいの太さがありそうだった。もし危険なものであるとすれば、どこが危険なんだろう? 毒があるのか? 締めつけてくるのか? 彼の、自然の危険信号に関する知識からは、答えがえられなかった。彼はその暗号を解読したことがなかったのだ。
仮に危険でないとしても、この生き物が攻撃的であることは間違いない。それはあまりにもその場に相応しくない存在だった。台座に据えつける価値のない宝石。我が地方と我が時代の粗野な嗜好――たとえば部屋の壁という壁に絵を並べ、床には家具を、家具には骨董品を、といった具合の――にとってさえも、密林の野蛮な生命の欠片はあまり趣味に合わなかっただろう。そのうえ、それが吐き出す息は、彼自身が吸っている空気と混ざり合うのだ! 我慢ならないことだ!
これらの思考が大なり小なりブレイトンの頭の中で砥ぎあげられ、行動を生じた。このプロセスが、熟慮と決断とかいうやつなのだ。こうやって、我々は賢く行動したり、賢く行動しなかったりする。こうやって、秋風に舞う枯葉は、他の地面や湖の上に落ちる枯葉より多少なりとも知的だと思わせたりする。人間の行動に関する秘密は明らかで――何かが我々の筋肉と契約するということだ。行動の下地となる分子的変化に意思という名称を与えて何の問題があろうか?
ブレイトンは立ちあがって、その蛇から静かに遠ざかるべく身構えた。可能ならばそれを刺激することなく、ドアのところまで。人はこのようにして偉大な存在――偉大さを決めるのは力、そして力とはつまり脅威――の前から撤退する。彼には妨害も支障もなくドアのところまで後退できることが分かっていた。怪物があとを追ってきたとしても、壁を絵で漆喰するような嗜好は、首尾一貫して、海の向こう、東洋から奪ってきた強力な武器の棚を作りつけるものなのだ。その一方、蛇の眼はこれまでないほどの無慈悲さと悪意を燃えあがらせた。
ブレイトンは後ろに下がるべく右足を宙に持ち上げた。その瞬間、彼は後退することに強烈な嫌悪感を覚えた。
「私は勇気があると評価されている」呟き声。「では、勇敢さとは自尊心以上のものではないのか? この恥を目撃しているものがいないからといって逃げ出してよいものか?」
彼は足を宙吊りにしたまま、右手を後ろの椅子に伸ばして体を支えた。
「馬鹿らしい!」と、大声で言った。「自分が恐がっているように見えるのを恐れるほど、私はひどい臆病者じゃない」
彼は膝をやや曲げることで足を少しだけ上にあげ、鋭く床に突き出した――もう一方の足の
男は青ざめていた。ふたたび彼は一歩前に進んだ。椅子を引きずるようにしてさらに次の一歩を。椅子は彼の手から離れ、音を立てて床に転がった。男はうめいた。蛇は音も立てず、身動きもしなかったが、両眼はそれぞれ太陽のような幻惑的な輝きを放っていた。その輝きによって爬虫性は完全に隠されていた。鮮やかな色の輪が放射され、大きく膨張して、石鹸の泡のようにきれいに消え去った。それらは彼の顔へとぎりぎりまで近づくようにも見え、計り知れないほど離れた位置にあるかのようにも見えた。どこからともなく、遠い音楽の奔流とともに巨大なドラムが刻む連続的な鼓動が聞こえてきた。その音楽は不条理なほど美しく、風のハープの音色のようだった。彼はそれがメムノンの像が奏でる日の出の旋律であることを悟り、自分がナイル河の葦原に立っているのだと思いこんで、感覚を昂ぶらせながら世紀の沈黙を抜けだした永遠の賛美歌を聞いていた。
音楽がやんだ。もっと正確に言えば、ごくわずかずつ、去りゆく雷雨の遠いうねりとなっていった。雨と太陽できらめく風景が彼の前に広がり、そこに色鮮やかな虹がかかって、数百のはっきりとした都市群が巨大な曲線の中にはめこまれた。中程度の距離から、王冠をかぶった巨大な蛇がかさばった渦巻きの中から首をもたげ、死んだ母親の瞳で彼を見つめていた。突如、まるで映画の墜落シーンのようにこの魅惑的な風景が上に飛んだかと思うと、空白の中に消えていった。何かが彼の頭と胸を激しく打った。彼は床に倒れ、折れた鼻と裂けた唇から血を流した。しばらくの間、彼は朦朧としながら瞳を閉じ、顔をドアの方に向けて寝そべっていた。やがて我にかえった彼は、自分が倒れていることに気付き、瞳を閉じることで彼を捕らえた呪文を断とうとした。彼は、視線を断つことで逃げ出せるようになるだろうと感じていた。だが、彼の頭から数フィートのところに蛇がいることを想像すると、実際には見えないにもかかわらず、まさにいま飛びかかってきてそのとぐろを彼の首に巻きつけようとしているのではないかという恐怖感が襲ってきた。彼は首を持ち上げてその悪意に満ちた瞳をにらみ返し、ふたたび捕われた。
蛇は動かなかった。何かがその幻惑力を失わせたかのようだった。数秒前に見たあの華麗な幻影は繰り返されなかった。中身のなさそうな平べったい額の下では、黒数珠のような瞳が事の始めと変わらず輝いており、筆舌に尽しがたい悪意を明らかにしていた。勝利を確信し、これ以上の催眠術を使わないと決めたかのように。
恐ろしい光景が展開した。敵との距離はおよそ
IV
ドルーリング博士夫妻が研究室に座っていた。博士は珍しく上機嫌だった。
「ちょうど手に入れたんだ、別のコレクションと交換にね」と、彼は言った。「Ophiophagus のみごとな標本だよ」
「それって何ですの?」と、夫人は尋ねたが、熱意ある態度とは言いがたかった。
「なんだって、なんて恐るべき無知さ加減なんだろう! ねえおまえ、ギリシャ語を知らない妻を娶った男は離婚に踏み切る資格があるんだよ。Ophiophagus とは蛇を食う蛇という意味だ」
「あなたの蛇をぜんぶ食べてくれればいいのに」と、彼女はぼんやりとランプを動かしながら言った。「でもどうやって他の蛇を捕まえるの? きっと魅惑して捕まえるのね」
「ちょうどおまえみたいにね」と、不機嫌を装って言った。「蛇の魅惑能力に関する低俗な迷信を口にされることがどれほど私を苛立たせるか、知っているだろう」
会話は屋敷中に響き渡った大きな悲鳴によって中断された。まるで、悪魔が墓の中から叫んでいるような声。
科学者は膝を折り、ブレイトンの胸に手を当てた。「発作で死んだんだな」そのままの姿勢で、彼はふとベッドの下に目を向けた。「主よ! なぜこいつがこんなところに?」
彼はベッドの下に手を伸ばし、いまだにとぐろを巻いている蛇を引きずり出して部屋の中央に放り出した。ざらつくような音をたてながら蛇は床を滑り、壁にぶつかって止まった。そして、そのまま身動きすることはなかった。それは剥製の蛇で――両眼はふたつの靴ボタンだったのだ。