「悪魔の辞典」作りは1881年にとある週刊新聞紙上で始められ、その後飛び飛びに、何度か長い間隔を空けながら、1906年まで続けられた。同年、その大部分が「冷笑派用語集 (The Cynic's Word Book) 」というタイトルの本として出版されたのだが、この名前について、著者の権限では拒絶することもできず、また喜んで受け入れることもできなかった。以下、本書の発行者から引用する:
「比較的敬虔なこの『冷笑派用語集』というタイトルは、以前、この作品の最後の一部を掲載した新聞社の宗教上の良心のいたみから、著者に押しつけられたものだ。当然の結果として、『冷笑派用語集』が出版されたとき、すでに『冷笑派』の名を冠したその模造品が溢れかえっていた。『冷笑派これこれ』『冷笑派しかじか』『冷笑派なになに』というふうに。それらの大部分はただの駄作だった。もっとも、中には愚作という栄誉まで獲得したものもある。これらの本が、一丸となって『冷笑派』という単語をたいそうおとしめてしまったため、『冷笑派』を名乗る本はどんなものでも発刊前に見切りをつけられてしまった」
さて、そのまた一方で、この国の積極的なユーモア好きたちの中には、この作品の一部を自分の必要に応じて利用する者がいて、数多くの定義、寓話、フレーズなどなどが、多少とも人の口にのぼるようになった。ここで解説を加えているのは、優先権を主張しようというつまらぬプライドのためにではなく、ただ、盗用したという非難の可能性を打ち砕くためであり、これはつまらぬことではないのだ。本書は単に自作を再録したにすぎないが、これに注意を向ける人々――ワインは甘口より辛口を、感傷より理性を、ユーモアよりウィットを、そしてスラングよりきれいな英語を好む文明的な人々によって、著者に盗作の罪なしと支持されたく思う。
本書の顕著な特徴は――願わくは不愉快に思われたくない特徴なのだが――著名な詩人たちから、実例となる引用をふんだんに取り入れている点だ。主として引用した、学識と才能に恵まれた聖職者、ガッサラスカ・ジェイプ神父, S.J. によるものは、そのイニシャル G. J. を記すことにした。また、神父の暖かい励ましと援助に、散文部分を担当した著者の負うところ大である。
A. B.